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更新日:2015年2月13日

柏崎市名所案内「琵琶島城跡(びわじまじょうせき)」

地形を生かして気づいた琵琶島城

鵜川は、昭和30年代の河川改修の実施までは、この辺りでは大きく蛇行を繰り返していました。横山川などの支流の合流点でもあり、周辺の水田も土地改良前には大変な深田となっていました。琵琶島城は、これらの地形をうまく生かして築かれた平城です。

琵琶島城の本丸跡は、江戸時代の記録(白川風土記)に東西四十間、南北六十間とあり、ここに農業高校(現在は柏崎総合高校)が建設されるまで、周囲を囲う高さ2〜3メートル・基底部4〜5メートルほどの大土塁、東に大手・西に搦手の虎口などの遺構も残っていました。地元では、この本丸を勝島と呼び、二の丸を福島、金曲輪(三の丸)を琵琶島と伝えられています。

城主は、江戸時代に宇佐美定祐が書いた「越後軍記」などの軍記物によって、「宇佐美駿河守定満であり、上杉謙信の軍師」とする説が広く喧伝(けんでん)され、NHKの大河ドラマ「天と地」によって、さらに定着した感があります。

ここに城が築かれた起源は不明ですが、中世越後有数の港湾「柏崎湊」と「柏崎町」の支配と防衛のために、上杉〜長尾家の直領として、その一族や重臣が城主として派遣されていたと考えられています。

資料で確かめられる城主としては、永禄〜天正初年(1558〜1573)は「琵琶島殿(越後侍衆等祝儀太刀次第写)」、能登出身の「琵琶島弥七郎(越国諸士)」の名が見え、天正12年(1584)には御舘の乱の恩賞として「桐沢但馬守具繁」が就任しています。なお、江戸時代に当城は廃され、その後琵琶島城の機能は大久保などの陣屋に移りました。

▼琵琶島城跡にある石碑

写真:石碑には「宇佐美駿河守、枇杷島城趾」と刻まれています

▼琵琶島城跡を説明する看板

写真:石碑と看板は、県立柏崎総合高校の敷地内にあります

▼現在の鵜川の様子

写真:琵琶島城は鵜川を利用して築かれた平城でした。現在は遺構は残っていません

市指定文化財(記念物・史跡)

  • 名称:琵琶島城跡
  • 指定年月日:昭和48年8月1日指定

所在地

柏崎市元城町1-1(新潟県立柏崎総合高校敷地内)

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産業振興部商業観光課観光振興係

新潟県柏崎市中央町5番50号 市役所 本館3階

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ファクス:0257-24-7714

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