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更新日:2015年2月13日

柏崎市名所案内「北条城跡(きたじょうじょうせき)」

北条毛利氏が築いた山城

室町から戦国時代にかけて、北条毛利(きたじょうもうり)氏が築いた山城です。城は、鯖石川と支流の長鳥川に囲まれた標高140メートル地点にあります。

御館(おたて)の乱において、上杉景虎(かげとら)方の主将であった城主・毛利丹後守景広(もうりたんごのかみかげひろ)は、天正(てんしょう)7年(1579)2月、府中(ふちゅう。現在の上越市直江津)で戦死し城も開城しました。

城跡の背後である北側は、標高150メートルから180メートルの山並みが曽地峠(そちとうげ)へと約10キロメートル続いており、曽地峠の北に赤田城跡(刈羽村)があります。城跡の正面にあたる南側には長鳥川が流れ、外堀の役割を果たしていました。

本丸跡からは安田城・善根(ぜごん)城・旗持(はたもち)城・南条(みなみじょう)館などの城館跡をはじめ、柏崎市街・日本海・米山などが眺望できます。本丸跡は長さ160メートル、幅約15メートルの細長い郭で、北端には「北条古城址」と刻まれた石碑が建っています。

本丸の南に深さ8メートル、幅12メートル、長さ40メートルの空堀。その南に30メートル×40メートルの二の丸。その下に深さ5メートル、幅5メートル、長さ50メートルの空堀。その下方に深さ6メートル、幅5メートル、長さ53メートルの空堀(からぼり)と畝形阻塞(うねがたそさい)などがあります。畝形阻塞は深さ1メートル、幅1メートル、長さ7メートルの空堀四条で構成されています。ここを下ると、北条氏の菩提寺である専称寺(せんしょうじ)に至ります。これが大手道となっていました。

▼本丸跡
写真:本丸跡の北端に「北条古城址」と刻まれた大きな石碑が建てられています

写真:本丸跡は長さ160メートル幅15メートルあり、今も開けた場所になっている。外周のところどころに木が植えられている。

▼本丸跡から柏崎市街地方面を望む
写真:本丸跡からは、日本海や米山が眺望できます。鵜川の河口付近も見えます

本丸跡東下には、幅5メートルから15メートル、長さ110メートルと幅15メートル、長さ75メートルの大規模な郭(くるわ)と空堀が構築されています。この道は搦手(からめて)道で、山麓の普広寺(ふこうじ)へと通じています。本丸跡から北方へは、ゆるやかな尾根が延びているため、特に大規模な空堀と郭を構築し防備を固めていました。本丸北下は、深さ14メートル、幅10メートル、長さ50メートル。その北に深さ2メートル、幅10メートル、長さ35メートル。その北に深さ2メートル、幅7メートル、長さ40メートルの大空堀が尾根を切断しています。

柏崎市指定文化財(記念物・史跡)

  • 名称:北条城跡
  • 指定年月日:昭和48年12月1日指定

場所

柏崎市北条地内

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産業振興部商業観光課観光振興係

新潟県柏崎市中央町5番50号 市役所 本館3階

電話番号:0257-21-2334

ファクス:0257-24-7714

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