令和元(2019)年度の市長随想

このページは、「広報かしわざき」に掲載した記事をもとに作成しています。

共にあれ(令和2(2020)年3月号)

映画スターウォーズが完結した。
エピソード9「スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」主役レイの吹き替えは本市ご出身、文学座女優永宝千晶さんである。

正義と悪、親と子ども、愛憎。
「フォース」は文字通り「力」だが、この力はどちらにも使われ、不可分なのだ。
テーマは単純な勧善懲悪ばかりではないように思う。

池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」で「人間とは、妙な生きものよ。
悪いことをしながら善いことをし、善いことをしながら悪事をはたらく。」と鬼平に語らせている。
考えてみればその名前も、鬼、平、とパラドクス(逆説)的である。

両目から涙を流す赤鬼と赤鬼に背を向けて去ろうとする青鬼のイラスト

「鬼は外、福は内」と節分の豆まき。
昔はあの鬼のお面をみんなが作ったものである。
今思えばそんなに鬼が沢山いてどうするの? 鬼は出ていったけれども入ってきた福ってどこ? という感じである。
鬼という存在もどこか愛嬌のあるものであったようにも思える。
子どもの頃から「鬼ごっこ」をしてきたからであろうか。

1月号で「赤鬼となって頑張る」とその決意を書いたのだが、浜田廣介の「泣いた赤鬼」は大好きな童話だ。
人間と友だちになりたい赤鬼はその風貌故になかなか信用されない。
そこで友人の青鬼がその意を汲んで悪者となり、赤鬼が青鬼を懲らしめ、人間から信頼を得る。
青鬼は赤鬼のためにその地を離れる。
友人を助け、友人を失うという話だった。

私はジェダイの騎士から暗黒面に身を落としたダース・ベイダーも鬼平も赤鬼も青鬼も好きなのである。
「共にあれ」

「オレが買ってきた純米酒、どうした?」「この前、貴方たち二人で飲んだじゃない! 覚えてないの!」と長男と共に怒られるのである。チョコレート、お菓子のことは以前書いた。
我が家は「共にあれっ?」であった。

一人旅(令和2(2020)年2月号)

奈良駅から南に30分ほど歩くと冬の田が広がってくる。同じ古都とはいえ、京都との違いである。
秋篠川沿いを進み、唐招提寺の東を過ぎると山の端がうっすらと橙色染まった中に「凍れる音楽」と称せられる薬師寺の東塔が見えてきた。

大和と呼ばれるこの地に関する記述は和辻哲郎「古寺巡礼」、亀井勝一郎「大和古寺風物誌」など名文が多く連なってきた。私が幾度となく読み返してきたのは亀井の文章である。薬師寺東塔についてはこう書いている。

「月光を浴びて瓦は黄金の光りを放ち、各層は細部にいたるまで鮮やかに照り映えて、全体が銀の塔と見まちがうばかりである。満天の星屑を背にそそり立つ荘厳の姿は、私がこの世の中でみた最も美しい状景であった。」
この文章もまた音楽である。

私が初めて一人旅に出たのは中学三年生の頃である。リュックを担ぎ、ユースホステル、ゲストハウス、テントに泊まる旅を国内外で重ねてきた。一人という状況、つまり何事も自分で決め、その責任は自分でということを繰り返してきたゆえの経験値はプラスであったと思う。同時に私自身、中島敦「山月記」の李徴のように「性、狷介」であるため、「耳を貸さない」と言われるマイナスも身に付けてしまったのかもしれない。

薬師寺の東塔の写真

唐招提寺、法隆寺、中宮寺、飛鳥寺、石舞台、橘寺。聖徳太子が「和を以て貴しと為し」と憲法を作り、天武天皇が「千歳の後に事無からんと欲す」と祈りながらも政争に明け暮れた千四百年前。現代の大和路にはそんなことを忘れさせるぐらいゆっくりとした時間が流れていた。私はひたすら歩いた。いかにも気の早い白梅がたった一つ枝に開いていた。神、仏、圧倒的な権力、権威の象徴でもあった寺社だけが今も残り、そして我々の祈りは続いているのである。

冬の赤(令和2(2020)年1月号)

初春の日の生まれくる薔薇色の 雲あり山の低きところに

与謝野晶子の歌である。朝焼けを見る機会は少ない。その貴重な、神聖な、そして、極めて日本的光景「初春」を薔薇という「西洋」の艶やかさで表現したところが彼女の真骨頂だろう。

私たちは今新しい年を迎えている。つつがなく、穏やかな正月をお過ごしの方もおられれば、残念ながら難儀な時をお過ごしの方もおられるだろう。今更分かったのか、とお叱りを頂きそうだが、人それぞれ本当に一人一人が何かを抱えている。与謝野の歌のように温かなところも激しいところも含んでいる。

君がため はるの野に出でて若菜つむ わが衣手に雪はふりつつ(光孝天皇)

令和という時代初めての1月を迎えている。より想像力を発揮できる個人、自治体でありたいと思う。「君がため…」と百人一首を覚えさせられたが、意味など知る由もなかった。ようやく少しだけだが分かるようになってきた。人のために「若菜」を摘む手は赤くかじかんでいる。

赤い実をつけたヤブコウジ

さて、ずっとレベルは落ちる。

米山のはるか峰下藪柑子 雪を抱きて門出を待つ(雅浩)

センリョウ、マンリョウは縁起の良いものであるが、十両と呼ばれる藪柑子が好きだ。どちらかと言えば日陰に咲く低木であり、土の中で株がつながっているこの木は目立たず踏みしだかれている。
しかし、強い。

新しき年、時代の動きはますます速い。置いて行かれぬよう「強くやさしい柏崎」を求め、赤鬼となって働かせて頂きます。何卒宜しくお願い申し上げます。

勘違い(令和元(2019)年12月号)

子どもの頃、童謡「ふるさと」は「ウサギ美味し蚊の山」と信じていた。
もちろん正しいのは「追いしかの山」である。小学生故の無知であった。

19歳の春、千葉市幕張にあった予備校の寮に入った。初めて駅を降り、寮まで向かう途中に「おとこ教室」という看板があった。「都会はすごいなあ」と感心していた。
「おこと教室」の読み間違いだった。18歳故の煩悩であった。

過日、スポーツ紙にアイドルによる野球始球式の記事。見出しは「○○、ノーバン投球!」
「えっ?」と思い、よく読み返すと、「パ」ではなく、「バ」(ノーバウンド)投球だった。57歳故の老眼である。

この12月6日で市長に就任させていただき、3年が経ち、私の任期もあと1年となった。政治に携わる者は人様のお気持ちと自らの意思のバランス、世の中の流れ、スピードを見極めなければならないと思う。
勘違い、読み間違え、思い込みは許されないと考えている。
政治という仕事が人気商売だとは思わないが、皆さんにお叱りを頂きながら「不人気な」ことも数多くやってきた。申し訳ありません。

同時に率直に、正直に皆さんに「そこにある、目の前の危機」についてお伝えしてきたつもりだ。かなり荒業も使ってきた。
いずれにせよ、それは皆さんのご判断、評価によるところである。改めて頂いた責任の重さを実感している。

箱に入ったチョコレートのイラスト

「ねえ、冷蔵庫に隠しておいた私のチョコレート知らない?」
「知らん!」(隠すな!)
「ここにあったお菓子、私全然食べてないんだけど!」
「…。」(…。)

これはわが家の勘違い、思い込みである。今年一年ありがとうございました。

温かな雪(令和元(2019)年11月号)

もみじと雪の結晶のイラスト

霜月、初冬であり、みぞれ、氷雨、柏崎でも白い気配が近づいてきた。

「また冬が来るねえ」

柏崎もしくは新潟において、冬を前向きなものと捉える人はそう多くないだろう。昔は出稼ぎ、という言葉もこの季節当たり前だった。9期36年もの長きにわたり市議会議員を務められた小池寛さんの自伝「出会い」に小池さんご自身の出稼ぎ体験も書かれている。

「日給百円、六カ月余りの報酬二万円近い現金を持ち帰り、母に渡した喜びは今も忘れない記憶の中に生きています」

越後の冬、生活を支えるために半年、家族と離れて暮らすという「出稼ぎ」の歴史。何事もデジタルな時代、私を含め今の子どもたちにも学んでもらいたい大切なもののように思えるのだ。

そして、重く、鈍色の空、閉じ込められた空気を明るく、力強く開放しようとなさったのが田中角栄氏であると思う。不世出の大政治家について私がプラスマイナスを申し上げることなど不遜である。しかし、私のみならず、多くの日本人が今もなお大好きなのだ。

「この世に絶対的な価値などはない。黒と白との間に灰色がある。真理は中間にある」「新潟県人の俺にとって雪とはロマンではない。雪とは生活との戦いだ」田中氏の言葉である。

さて、「日々を過ごす」「日々を過(あやま)つ」ことに同じ漢字が当てられ、「幸い」という文字に「辛(つら)さ」が含まれていることに気づいたのは詩人の吉野弘氏の慧眼(けいがん)である。山形県酒田生まれの吉野氏は一時期柏崎にもお住まいであった。

それぞれの人生を歩まれた三人の視線に共通のものを感じるのは私だけだろうか。冬、雪は温かいものであるのかもしれない。

野分(のわき)(令和元(2019)年10月号)

生温かな風が吹いている。台風の余波だという。千葉では停電が続き、残暑の中、ご高齢の方をはじめ熱中症も心配されている。改めて、異常とも思える自然現象、科学技術、人間との関係を考えさせられる。被害が拡大しないことをお祈りし、被害に遭われた皆さまに心からお見舞いを申し上げる。

台風はもともと中国で、激しく強烈な風「大風(タイフーン)」と呼ばれ、英語のtyphoonになり、逆輸入されて「颱風」になり、台風になったと聞いた。

今更であるが、風とは空気の動きである。この秋の激しい空気の動きを日本人は野分と呼んできた。言葉としては美しい日本語の一つだと思う。源氏物語でも使われ、また漱石の小説「野分」冒頭部分はこんな感じである。

「始めて赴任したのは越後のどこかであった。越後は石油の名所である。学校の在る町を四五町隔てて大きな石油会社があった。学校のある町の繁栄は三分二以上この会社の御蔭で維持されている」

この地で黄白(金曜日)万能主義を戒めた教師、主人公道也(どうや)は果たして町の有力者には生意気、無能、高慢と評され、彼にとっての最後の望み、つまり生徒からも見下された。結果、「道也は飄然(ひょうぜん)として越後を去った」のである。

青空に色とりどりの風船が登っている写真

空気を読むことも大切であり、風を起こすことも大切なのだと思う。風は気圧の変化によって起こる。起こすことができる。「空気のような存在」と無価値のように扱われるときもあれば、暴風となり人を傷つけることもある。時に人をまどろませ、安らぎをもたらすそよ風もある。私はまだ風の使い手ではない。アランは「足元を見よ。遠くを見よ」と書いている。野分という美しい言葉に潜む大きな力を畏れ、備えなければならない。ただ、私たちは台風一過の高い、爽やかな青空も知っている。待ち望み、信じている。

ガタガタ、ブツブツ(令和元(2019)年9月号)

たくさんのステッカーが貼ってあるスーツケースの写真

スーツケースがガタガタ言っている。25年ものである。引っ張っていて我ながら恥ずかしい。最近のものは静かである。主張しない。昔は、オレはこんなところも行ったぞ、とステッカーをベタベタ貼ったものがよく見受けられた。鼻持ちならない輩が多かった。スマートではなかった。私のものもキャスターはタイヤが欠け、ベアリングもCRCを3リットル吹き掛けてもダメである。間違いなく買い替え時なのだ。しかし、である。なかなか思い切りがつかない。

私は基本的に物持ちがいい。例えば、服など子どもたちのお下がりを身に着けている。三兄弟もそれぞれ高校生ともなれば私と皆背格好も同じようなものとなり、そして彼らが家を出た時、私のタンスに物品の一部が意図的に、あるいは無意識に投げ込まれるのである。この高等戦術にうかつにも引っ掛かるのが哀れな私である。

さて、私が所持し、かつ現役、一番古いものは何であろうかと考えてみた。結論は圧倒的な大差で、山のザックであった。高校2年の時にバイトをして買ったものであるからちょうど40年である。10年ほど前から本来的な目的ではなく、キノコ採りに使われるようになった。さすがにもう終わりか、と思った時も、ニコニコ通りの小林カバンさんに直して頂き復活した。故に今も20キロの天然ナメコも大丈夫なのである。

ということで28年もの、ではない、女性のわが妻からも、時にブツブツ言われるが、私は大事にしているつもりなのである。ささいなことでガタガタ言わないのが大人なのであろうが、私はこのスーツケースの持ち主である。伝統、古いものを大切にし、かつ、しがみつかない、とどまらない、新たなものを見いだす、洗練された田舎を目指す私に他意は無い。

人間の三欲(令和元(2019)年8月号)

コツコツ貯筋体操センターがオープンしました。東本町1丁目、柏崎ショッピングモール「フォンジェ」2階です。無料です。

脳年齢の測定装置も準備しました。エアロバイク(自転車こぎ)も3台用意しました。私も口の動きから、老化具合を確認するテストを受けてみました(脳年齢は怖くてノウでした)。「パパパ…」「ガガガ…」「ハイ、終わり!」「どうだった?」「ええっと、年相応です!」口は自信があっただけに少しがっかりでした。

見回すと女性が多いのです。9割ぐらいでしょうか。
私「今度、旦那さんも誘って来てくださいよ」
女性A「死んだの、旦那は。だから来られんの」
女性B「ウチもそう、だからこんが笑ってられんの。シャベッチョしてられんの」
私「…そうですか」

笑い話のようですが実際なのでしょう。ご家庭での介護の様子が垣間見える話です。昔、「亭主元気で留守がいい」などと、やゆされることが多かった中高年の男性ですが、最近はさらに、なのでしょうか。

テレビCMでは健康補助食品、サプリメント関連が目立ちます、というかそればかりです。健康への意識の高まりは著しいものがあります。食欲、性欲、睡眠欲が人間の三欲と呼ばれるものですが正に個人的なものです。その一つ食欲に関して古くは貝原益軒「養生訓」にある「腹八分目」が目指すところなのでしょう。

公が果たす役割は個人の領域に関して限定的であるべきだ、というのが私の一貫した考えです。医療費、介護費用の抑制という公の大目標もありますが、皆さん、個人、公それぞれの役割を一緒にお考えいただきたいのです。父ちゃん、ショッペもんあんま食わんで、酒控えて、運動しなせ! スイーツ女子、注意!

3人の女性がエアロバイクに乗り、運動している写真

コツコツ貯筋体操センターでは、街並みを見ながらエアロバイクで運動できます。

雨の思い出(令和元(2019)年7月号)

傘とアマガエルのイラスト

窓の外を見ると雨が降っている。思い出すのは東京・荻窪のアパートである。エアコンも風呂もない一室で5年を過ごした。ある時、東に開いた窓から稲妻が見えた。ピカッと光り、すぐにドンガラ、と来たから近い雷だったのだろう。果たして間もなく雨が降り始めた。古い表現で言えば車軸を流すような、村上春樹風に言うならば「すごおーい雨」である。「1978年がそうであったように」私は荻窪の雨を窓を開けたまましばらく見ていた。雨の向こうに何を見ていたのだろうか。

1978年、昭和53年、私は16歳の高校1年生だった。山岳部に入り、遠征資金を捻出するため柏崎日報配達のアルバイトを始めた。そして7月、大雨となり私の配達区域、柳橋、関町、宮場、城東は水に浸かった。もちろん私は被害を受けた皆さんのお気持ちなどをわきまえない不遜な高校生だった。何よりも洪水というものはどういうものなのか見たかった。自転車に配達分の新聞を載せ出掛けた。路上を錦鯉が泳ぐようなルートを進んだ。想像の通り私は自転車、新聞もろとも水没した。40年も前の雨である。高校生だったのだ。

さて、57歳の雨である。
「ああー、さあさ!」1カ月前に買い、植え付けたばかりのイチジクを根元から切ってしまった。番神の畑で、新鋭機による草刈りに励んでいた時のことである。調子に乗っていたらこの通りである。愚かな涙雨である。

50年も続いた鵜川診療所を閉めさせていただいた。野田診療所への統合である。患者さんと思われるお一人お一人に頭を下げる。ご婦人「しかたねえさ。がんばんなせえ」三浦公一郎先生「鵜川の人の恕の心、つまり寛容の精神が事態を静かに受容せしめた」染みわたる。情けの涙雨である。

海の季節が来た!(令和元(2019)年6月号)

「今日は母の日です」というオールジャパンのキャンペーンを「ほう」とやり過ごし、カーネーションを買うこともなかった。へそ曲がりなのである。お花屋さん申し訳ありません。6月16日は父の日です。

世の中「○○の日」というものが無数にある。いわゆる語呂合わせである。ちなみに6月は3日ムーミンの日、何をするのであろうか「こっちむいて!」と仲直りをする日であろうか。翌4日は「虫の日」となっているが、もちろん「無私の日」の方が人類のためである。9日が「ロックの日」というのは笑える。和製である。全くロックンロールしていない。

7月ともなれば7日は「川の日」、第3月曜が「海の日」、「山の日」は8月11日となっている。

さて、私は山の男と思われているが、海でも長年遊んできている。漁師になれ、と言われたら結構いけると思う。川では実際に内水面漁業協同組合員である。

荒浜では先般「荒浜いわしまつり」が開催され、千人を超えるにぎわいであった。子どもたちが海の柏崎の恵みを味わう、良いことであり、大切なことだと思う。

背びれと尾びれが黄色で、体にしま模様のあるヒゲソリダイの写真

ヒゲソリダイ(模様のある大きいものが成魚、小さく黒いものが稚魚)

近くの海洋生物環境研究所の皆さんが漁協と協力しながらヒゲソリダイの養殖にも成功した。今年は少ない額だが市の予算にも盛り込んだ。多くの皆さんに味わっていただきたいが、まずは理容組合の皆さんにお願いしたいと考えている。名前が名前ですからね。

以前、長野から来た子どもを番神に連れて行ったことがある。初めての海で波をかぶったその子はこう言った。「オジさん、この海、塩の入れすぎだよ」食生活改善推進委員の皆さんに報告しなければならなかった。長年の海暮らしのせいか私の血圧も最近高いのである。

柏崎の「令和」(令和元(2019)年5月号)

天拝山、皆さんご存知でしょうか。椎谷にあります。天を拝む山。スケールが大きい。青海川、青い海と川、日本で一番美しい地名である、と名刺の裏に刷り込みました。

私は柏崎市内約3百の町内、集落全てを歩いてきました。高柳塩沢から山中まで、蚕棚の名残でしょうか、屋根に特徴のある家屋が点在しています。宮川神社社叢、本来暖かいところに生えるシロダモの木の群生は極めて貴重だと文化財の指定を受けています。

西本町3、鵜川町は昔、御坊町と呼ばれ、寺も多く残っています。柏崎で一番古いと思われる淡いグリーンの街灯もまだ機能しており、レトロです。1958年製。ウチの職員の調査です。喬柏園、現在の「まちから」かつての庭を潰してしまったのは全く残念でした。中段、上段の間を備えた空間は我々男子の冒険の場でもありました。

善根の石川峠から見る鯖石郷は美しい。今はもう時期を過ぎましたが、桜並木も見事です。野田の小村峠から見る黒姫は高度感も、広がりもあり、ダイナミックな展望です。西山連峰。出雲崎小木ノ城まで続くスカイラインは気持ち良いハイキングコースです。人工物たる米山大橋の赤、手前の海の青、背景米山の新緑。このコンビネーションは柏崎を代表する景観だと思います。

2019年薫風五月。令和、英語での説明はbeautiful harmony「美しい調和」と公式発表されました。古いもの、新しいもの、人工、自然。柏崎の「令和」を見つけましょう。大切にしましょう。紹介した場所は全て車でも行けます。そして、歩きましょう。

写真:雪が残っている森。木々の根元だけ丸く雪が融けています

福島の春(平成31(2019)年4月号)

まずは訂正です。

先月号でお伝えした西山・伊毛の看板は「古代椿」から「ヤブ大椿」と変えられました。「やぶから棒の」対応に私もついていけませんでした。

オオイヌノフグリの写真

まずは訂正です。
先月号でお伝えした西山・伊毛の看板は「古代椿」から「ヤブ大椿」と変えられました。「やぶから棒の」対応に私もついていけませんでした。

福島を訪れました。梅の花が満開でした。荒れた農地には除染された表土と思われる黒い大きな土のうが積まれ、その間にはヒメオドリコソウの紫とオオイヌフグリの瑠璃色が鮮やかでした。

私は8年前の3月31日に文章を書き、公開し、半年後の10月、その内容を新聞に折り込み、市民の皆さまにお伝えし、政治から身を引きました。

原発に対する私の不明を記し、基本的に地震国である日本は原発から撤退するべきである、という内容であり、しかし、国民の生活のためにも日本経済のためにも当面の間の原発の稼働は全く皮肉だが認めざるを得ないという内容です。限定的な使用、徐々に確実な廃炉ということです。今もその考え方は変わっていません。

8年後の福島ではダンプ、トラックが行き交っています。活気があります。戻ってきてくださることを期待して、さまざまなインフラ整備と除染が進められているのです。
しかし、双葉町の住民意向調査によれば回答者の61・5パーセントが「戻らないと決めている」とその意志を表明されています。

20年前、当時原発容認派の私は原発反対派の市議と共にデンマーク環境省におりました。幹部とエネルギー政策を語るその人は最後にこう言いました。「矢部忠夫、今後も核のない、原発の無い世界のために頑張ります、櫻井これを通訳してくれ! 武士の情けだ」私はその時のことを懐かしく、そして誇らしく胸に刻んでいるのです。年月は過ぎました。矢部さん、お疲れさまでした。

この記事に関するお問い合わせ先

総合企画部 元気発信課 情報発信係

〒945-8511
新潟県柏崎市中央町5番50号 市役所 本館1階
電話:0257-21-2311/ファクス:0257-23-5112
お問い合わせフォームはこちら

更新日:2020年03月05日