柏崎市名所案内「北条城跡(きたじょうじょうせき)」
北条毛利氏が築いた山城
室町から戦国時代にかけて、北条毛利(きたじょうもうり)氏が築いた山城で、鯖石川と支流の長鳥川に囲まれた標高140メートル地点にあります。
御館(おたて)の乱で、上杉景虎(かげとら)方の主将であった北条城城主・毛利丹後守景広(もうりたんごのかみかげひろ)は、天正(てんしょう)7年(1579)2月、府中(ふちゅう。現在の上越市直江津)で戦死し、城も開城しました。

本丸跡から柏崎市街地方面を望む
城跡背後の北側には、標高150~180メートルの山並みが曽地峠(そちとうげ)へと約10キロメートル続き、曽地峠の北に赤田城跡(刈羽村)があります。城跡の正面にあたる南側には長鳥川が流れ、外堀の役割を果たしていました。
本丸跡からは安田城・善根(ぜごん)城・旗持(はたもち)城・南条(みなみじょう)館などの城館跡をはじめ、柏崎市街・日本海・米山などを眺めることができます。
市内では最大級の北条城
城は、南北530メートル、東西280メートルの範囲に広がっています。主郭(しゅかく)は、南北に伸びた尾根に沿って、南から「南曲輪」「二ノ曲輪(二ノ丸)」「実城(本丸)」「北曲輪」の順に配置されています。
主郭を区画する4条の深い堀切(ほりきり)は、底面が平坦な箱堀(はこぼり)で、上幅15~25メートル、底幅5~15メートル、深さ2~10メートルの規模を誇っています。また、要所に土塁や横堀、竪堀、畝形竪堀(うねがたたてぼり)、虎口(こぐち)を備えています。横堀と大規模な箱堀は、鉄砲による実戦への備えとして築かれたと考えられます。
南曲輪(くるわ)は高さ約5メートルの切岸(きりぎし)とし、城への出入口である虎口が備えられています。また、これらを巡るように横堀と畝形竪堀11条が築かれ、防御の備えを強くしていることから、主戦を南側の尾根に置いていたことがうかがえます。ここを下ると、北条氏の菩提寺である専称寺(せんしょうじ)に至る大手道となります。
実城は、幅約15メートル、長さ160メートルと細長く、北端には「北条古城址」と刻まれた石碑が建っています。実城の北側は、緩やかな尾根が続くことから、北曲輪の内部には箱堀や土塁を築き、防御を高くするとともに、実城と区画する堀切も深さ10メートルと特に深くしています。また、東側直下には横堀を配し、緩やかな尾根筋には、曲輪が多数築かれる腰曲輪群となっています。ここを下ると、山麓の普広寺(ふこうじ)に通じる搦手(からめて)道です。

本丸跡

柏崎市指定文化財(記念物・史跡)
名称
北条城跡
指定年月日
昭和48(1973)年12月1日
場所
柏崎市北条地内
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更新日:2020年10月21日