柏崎市名所案内「琵琶島城跡(びわじまじょうせき)」

地形を生かして築いた琵琶島城

柏崎総合高校の敷地内にある「宇佐美駿河守、枇杷島城趾」と刻まれた石碑の写真

鵜川は、1955年代に河川改修をするまでは、大きく蛇行を繰り返していました。また、この辺りは横山川などの支流の合流点でもあり、周辺の水田も土地改良前には大変な深田で、琵琶島城は、これらの地形をうまく生かして築かれた平城です。

琵琶島城の本丸跡は、江戸時代の記録(白川風土記)に東西四十間、南北六十間とあり、ここに農業高校(現在は柏崎総合高校)が建設されるまで、周囲を高さ2〜3メートル・基底部4〜5メートルほどの大土塁が囲み、東に大手・西に搦手の虎口などの遺構も残っていました。地元では、この本丸を勝島と、二の丸を福島、金曲輪(三の丸)を琵琶島と呼んでいたと伝えられています。

江戸時代に宇佐美定祐が書いた「越後軍記」などの軍記物によって、城主は「宇佐美駿河守定満であり、上杉謙信の軍師」とする説が広く喧伝(けんでん)され、NHKの大河ドラマ「天と地と」によって、さらに定着した感があります。

ここに城が築かれた起源は不明ですが、中世越後有数の港湾「柏崎湊」と「柏崎町」の支配と防衛のために、上杉・長尾家の直領として、その一族や重臣が城主として派遣されていたと考えられています。

資料で確かめられる城主としては、永禄〜天正初年(1558〜1573)は「琵琶島殿(越後侍衆等祝儀太刀次第写)」、能登出身の「琵琶島弥七郎(越国諸士)」の名が見られ、天正12(1584)年には御舘の乱の恩賞として「桐沢但馬守具繁」が就任しています。

なお、江戸時代に当城は廃され、その後、琵琶島城の機能は大久保などの陣屋に移りました。

昭和初期まで主郭の土塁跡が残っていたと伝わりますが、現在は、中心部は県立柏崎総合高校の敷地となり、周辺も河川改修と市街地化で、遺構は残っていません

県立柏崎総合高校の敷地内にある琵琶島城跡を説明する看板の写真

琵琶島城跡を説明する看板

河川改修でまっすぐに流れる鵜川の写真

現在の鵜川の様子

市指定文化財(記念物・史跡)

名称

琵琶島城跡

指定年月日

昭和48(1973)年8月1日

所在地

柏崎市元城町1-1(新潟県立柏崎総合高校敷地内)

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更新日:2020年10月21日