西山油田(にしやまあぶらでん)

西山油田は、長岡市(旧古志郡)東山油田と相対し、かつては新津油田、秋田の八橋油田と並んで「日本三大油田」として栄えました。

西山における石油の歴史は古く、天智天皇即位7年(668)の秋、越の国より「燃える水、燃える土」を献上したと日本書紀に記されています。

この献上地が、柏崎市西山町妙法寺の「献上場」(おんじょうば)であるといわれています。この地には、現在西山ふるさと公苑に展示されている巨大なヒスイ製勾玉を持つ豪族が存在していた可能性が高いとされています。そのような豪族がいたからこそ、はるばる大津の宮まで「燃える水」献上を行うことができたのではないかと考えられます。

江戸時代には実際に石油(当時は草生水)を採掘して実用に供していた記録もあり、当時の支配者である椎谷藩堀家の代官により、草生水年貢が賦課された記録も残っています。

1890年、当時の刈羽郡石地町の素封家内藤久寛氏は、アメリカにより綱式さく井機を輸入して深層の掘削に成功し、近代石油産業の基礎を築きました。以来、西山油田は空前の石油ブームに沸き返り、この盛況は大正末期まで続きました。

長嶺、鎌田、伊毛をはじめ、刈羽砂丘一帯は石油櫓が林立していましたが、残念ながら現在は当時をしのぶものは何も残っていません。

白い衣装を着た男性が献上場の燃ゆる水「草生水(くそうず)」採油している様子の写真

草生水まつり採油式の様子(草生水献上場) 

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更新日:2020年01月31日