市長臨時記者会見(令和4(2022)年11月30日)

市長臨時記者会見(令和4(2022)年11月30日)のお知らせ

綾子舞のユネスコ無形文化遺産登録決定のくす玉を割る市長、柏崎市綾子舞保存振興会の高橋会長、高原田保存会の猪俣座頭、下野保存会の関座頭、踊り手5人
綾子舞のユネスコ無形文化遺産登録決定の喜びを語る市長

綾子舞を含む「風流踊」がユネスコ無形文化遺産に登録決定したことに関して行われた記者会見です。

報道機関との質疑応答を追加しました。

市長記者会見インターネット録画配信

市長記者会見の録画映像を「YouTube柏崎市公式チャンネル」でご覧いただけます。

発表事項

綾子舞を含む「風流踊」のユネスコ無形文化遺産登録決定について

このたび、柏崎が誇る国の重要無形民族文化財である綾子舞が、ユネスコ無形文化遺産に正式に登録決定しました。綾子舞が世界に認められたことを大変光栄に、大変うれしく思います。500年にわたる綾子舞の歴史を紡いで、積み重ねて来ていただいた高原田(たかんだ)()下野(しもの)()の方々、引き継いでいただいている若い方々、保存振興会、そして後援していただいている方々に改めて感謝を申し上げ、またお祝いの言葉を申し述べたいと思います。ありがとうございました。そして、おめでとうございました。

綾子舞は昭和51(1976)年に国の重要無形民俗文化財第一回の登録案件として登録されました。それから今年で46年。綾子舞がいかに世に出てきたのかという歴史は皆さまもご承知のとおり、昭和25(1950)年、今から72年前に早稲田大学の本田()次(やすじ)教授が()谷(おなだに)()の里を訪ねられ、綾子舞を発見されました。そして、昭和26(1951)年に東京で開かれた全国の民族芸能の大会に参加し、世に出たのが始まりと承知しています。その間、いろいろな歴史があったと思います。鵜川(うかわ)小学校、鵜川中学校、野田(のた)()小学校の閉校がありました。そして今、新道小学校と南中学校の伝承教室を通して、綾子舞の500年の歴史を引き継いでいただいています。新道小学校、南中学校以外の柏崎市内の中学生、高校生にもこの伝統を引き継いでいただいています。先程のユネスコの無形文化遺産登録の審議の中にもありましたように、いわゆる地域の文化、地域の誇りを綾子舞を通して、引き継いでいただいていると感謝しています。46年前に国の重要無形文化財として国に認められ、そして本日、ユネスコの無形文遺産の風流踊の一つとして綾子舞が世界に認められました。この500年を積み重ねてきた人々の歴史に心からの敬意と感謝を申し上げ私のコメントとさせていただきます。皆さま本当にありがとうございました。

 

柏崎市綾子舞保存振興会長 高橋 一也 氏:柏崎の鵜川の地で長く受け継がれてきた綾子舞が、国の指定を受けて46年、そして本日ユネスコの無形文化遺産として登録されました。私たち綾子舞保存振興会、両座元の皆さまと伝承に関わってくれた子どもたち、そして何より私の前の歴代の振興会長さんも今日のこの日をとても楽しみにしていました。ユネスコに登録されたということは、世界に綾子舞が認められたということです。綾子舞保存振興会としても、大変うれしく思っています。これまで大勢の皆さまから綾子舞を支えていただき、今日まで続いています。これからも綾子舞を私たち綾子舞保存振興会、両座元の皆さま、それから大勢の関わってくださった皆さま、子どもたちと共にしっかりと受け継いでいく覚悟です。ぜひこれからもご支援をどうぞよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。

 

高原田保存会長 猪俣 ())行(いのまたよしゆき)()氏:本日綾子舞がユネスコに登録されて、私たち綾子舞一同、大変喜んでいます。世界の人々をはじめ多くの人々が関心と興味を持っていただけるのではないかと思っています。そして柏崎の若い人たちが綾子舞を覚えて次につなげていってくれることを切に願っています。今日来ていただいた皆さんからも今後ともご支援ご協力をよろしくお願いしたいと思います。本日はありがとうございました。

 

下野保存会長 ()一重(せきかずしげ)氏:ユネスコの無形文化遺産に登録される瞬間を目にして、本当にうれしく言葉がありません。先代の方々も本当に喜んでくれるのではないのかなと感じました。下野保存会では先代の方から非常に厳しい指導をしていただきました。それを引き継ぎ、私たちもしっかりと伝承しようという心構えで生徒さんに指導をしてきました。また気持ちを新たに、綾子舞に取り組んでいきます。皆さまからこれからも温かい目でご支援をいただけますようお願いを申し上げましてお礼の言葉にさせていただきます。今日は本当にありがとうございました。

(主管:博物館 電話番号:0257-22-0567)

臨時記者会見の質疑応答

記者:これまで長く伝承を続けてくるのはとても大変だったと思うが、ご苦労などを両座元にお聞きしたい。

下野保存会長:学校で伝承学習をしていただいていることは、私ども綾子舞の保存会として本当にありがたいです。一時は、踊っていただく児童・生徒が1組や2組という非常に苦しいときもありましたが、学校のお力添えや親御さんのご協力もあり、現在下野では小・中学校の女の子が15人、小学生の男の子が4人、高校生の男の子が4人います。これからも伝承学習をやっていただいているお子さんの親御さんにもお願いしながら、綾子舞に参加していただける人を一人でも多くしたいと考えています。

高原田保存会長:伝承学習で子どもたちが覚えてくれることは、本当にありがたいことです。小学校3年生から入ってくれますが、3年生くらいだとやっとまねしたり、どうしても騒いだりするのでなかなか覚えられないところもあります。6年生、中学生くらいになるとどんどん上手になって本当にうれしくなってきます。地元の高校に残った子は、引き続き夜の養成講座などにも参加して覚えてくれます。そうすると見栄えもちょうどいい年頃になってくるので綾子舞も優雅に見えます。ただ、高校を卒業すると地元を離れたり、仕事の都合で遠くに行ったりと、上手になった子が地元を離れていってしまうというのが、非常に残念です。地元を離れてもまた柏崎に戻ってきた時には、また我々と一緒に踊ってくれるのではないかなという期待もあります。次の年になるとまた新しい子が入ってきてくれます。そういうことを繰り返しながら順番に伝わっていくのかなと思っています。

最近、コロナ禍で思うように練習ができないことがありましたが、コロナ禍をなんとか克服して今回は現地公開をやらせていただきました。引き続き伝えていきたいと思います。

記者:今後も伝承が大事になってくると思うが、市としてのバックアップや支援について、市長の考えを伺いたい。

市長:今ほど、両座元からお話がありましたように伝承学習は当然、継続します。学校教育の中での希望者を後継者として全面的にバックアップしていきたいと思っています。

記者:本日会場に来ている踊り手の方に、今まで綾子舞をどんな思いで舞ってきたか。また、今後どのように続けていきたいかを伺いたい。

踊り手 九里 多映(くのり たえ)さん:私にとって綾子舞は、ある意味道のようなもので、綾子舞と出会ったからあまり出来ない経験をたくさんさせていただいて本当に一生続けて行きたいと思っているものです。これからどう続けていくかについては、私は夢があってこれからもっと綾子舞や伝統芸能の勉強をして、学んだ事を柏崎に持ち帰って柏崎と綾子舞を盛り上げて行きたいという思いがあります。これからも一生綾子舞と関わっていきたいです。

踊り手 小林 朱珠(こばやし すず)さん:私は小学校3年生の時に地元の5歳上のお姉さんに憧れて綾子舞を始めました。始めたばかりの頃は扇使いも難しくて、先輩の後ろ姿を見て踊ることが精一杯でしたが、今まで続けてきて、いろんな踊りを踊っていくたびに、綾子舞の歴史の重さを感じ、また扇を使って踊ることや素敵な衣装を着させていただく楽しさも感じながら踊ってきました。私は将来、医療関係に進みたいと思っていて、直接綾子舞と関わることは将来少なくなるかもしれません。しかし、子どもの頃からやってきた綾子舞は私の中でとても大切な財産となっています。それを自分の子どもや私が今後関わっていく人たちにしっかり伝えて、私がしっかり綾子舞をやってきたことの誇りを持って、その素晴らしさも同時に広げていけたらと思っています。

踊り手 梅沢 望(うめざわ のぞみ)さん:私が綾子舞を始めた理由は、兄がやっていたのと着物に憧れたという単純な理由ですが、続けているうちにどんどんうまくなっていくことがうれしくて、もっとうまくなりたいと思って踊ってきました。私は将来、踊り子として綾子舞を続けることは難しいと思うので、着付けなどの踊り子さんのサポートとして綾子舞に関わっていきたいと思っています。

踊り手 桑原 夏実(くわばら なつみ)さん:私は小さい頃から踊ることが好きでした。バレエやスケートやダンスなどいろいろなものを習ったのですが、その中でも幼稚園の頃からやっていた舞がすごく好きで、新道小学校に入学して小学4年生の時に綾子舞を見て、私もやってみたいと思い始めました。私は今中学3年生なので、来年は高校1年生となります。今までは高校3年生のお姉さん方を見て下の子たちを指導し、自分自身も踊りを磨いてきました。しかし今度は、世界が認める綾子舞として全体をまとめ上げていかないとなりません。私自身も自分の踊りを磨きつつ自分の後輩たちにもしっかり踊りを伝えたいと思います。

踊り手 中村 涼音(なかむら すずね)さん:私が綾子舞を始めたきっかけは、兄弟がやっていたことと着物や()()(てんかん)に興味があったことです。始めの頃は一回舞うだけで肩が疲れたり、膝を曲げるのが痛かったりしていたのですが、続けているうちに細かい動作へも気を使えるようになったり隣のペアの人と合わせることに気を使えるようになったりしたのがうれしかったです。今後は自分がうまく舞えるように努力するのはもちろんですが、下の子たちへ教えてあげられるように上手に舞っていきたいです。

記者:保存振興会として今後どのようなかたちで伝統を次につなげていくのか高橋会長に伺いたい。

柏崎市綾子舞保存振興会長:私は今月の8日から振興会長を拝命し、綾子舞そのものを十分には承知していません。幸い、前職が教員で新道小学校にも勤務をしていましたので、退職して6年経つのですが、今日ここにいる子どもたちの顔は全員分かります。

保存振興会としては、学校と連携しながら伝承学習に参加してくれる児童・生徒を増やし、継承者として受け継いでいってもらうようにしなければならないなと思っています。少し先の話になりますが、統合の問題なども出てきますと保存振興会としてはその辺も踏まえて先を見据えて、後継者の養成にしっかり取り組んでいきたいと思っています。

一方で座元の皆さんの高齢化が進んでいます。踊り手だけの養成ではなくて、座元の皆さんを一緒になって支え、一緒になって座元を盛り上げていっていただける方々の養成にも取り組まなければいけないと思っています。

記者:地元の若者からどのようにまた柏崎に戻ってきてもらうか、人口減をどうするかという辺りが根本的な問題だと思う。市長は若者のUターン対策や地方の地域振興などは考えているか。

市長:当然のことながら、今一番女谷に近い地元である新道小学校、南中学校の伝承学習を中心としながら、今後柏崎全体の学校教育の中で綾子舞が世界に認められたということを伝えて行きます。その中で、綾子舞を引き継いでいっていただく方が出てきてほしいと思っています。また、そういったアプローチを教育委員会と共にしていかなければいけないと思います。そのことが地域の誇り、ローカルコミュニティとしてのプライドを喚起します。それを改めて気付かせてくれた今回の綾子舞のユネスコの無形文化遺産の登録です。

そういった意味で、例えば綾子舞の歴史の中には「おいな」という言葉があります。三階節の元になった「おいな」は鵜川に伝わっていますが、南鯖石にも残っています。南鯖石も過疎が著しいところです。そういった方々が、それぞれの歴史や文化にもう一度スポットライトを自分たちで当てる。そして私たち行政は、それぞれの文化に対してスポットライトを当てるお手伝いをする。そういったかたちで、役割分担したいと思っています。

それがすぐに移住や定住、人口減に歯止めをかけるということにはならないかもしれません。しかし、先程子どもたちからお話いただいたように、自分たちは綾子舞をやってきた、そして今日この瞬間をリアルタイムで体験してきたということを引き継いでいただくことが柏崎市を離れても柏崎に戻ってきてくれる、柏崎にずっと定住してくれるということの精神風土につながっていくのではないかと期待しています。

記者:登録決定を祝う公演や世界に向けてアピールするような事業は考えているか。

市長:今回、風流踊として認められたものの一つに、県内で魚沼の大の阪があります。11月13日(日曜日)に大の阪と一緒に共演させていただきました。

世界に認められたわけですので、より多くの方々にこの柏崎の誇る、また女谷、高原田、下野が誇る綾子舞を皆さんに発信し、この魅力に気付いていただきたいと考えています。市としては後援会、振興会と共に、来年度に予算組みを考えています。

記者:年内で発表することはあるか。

博物館長:12月25日あたりで関係者の方々にこの登録決定をご報告する場を設けたいということで、今両座元と調整中です。

臨時記者会見の概要と質疑応答(印刷用)

この記事に関するお問い合わせ先

総合企画部 元気発信課 情報発信係

〒945-8511
新潟県柏崎市日石町2番1号 市役所 本館2階
電話:0257-21-2311/ファクス:0257-23-5112
お問い合わせフォームはこちら

更新日:2022年12月02日