令和4(2022)年度の市長随想

このページは、「広報かしわざき」に掲載した記事をもとに作成しています。

西川正純さんは心に残る(2022年12月号)

野田の小村峠に出かけてきた。
朝日が差すころ、峠の錦秋は一層輝く。

「涸沢カールの紅葉よりきれいなんじゃない?」と妻は行けなかった北アルプス穂高への悔し紛れを口にする。
しかし、確かに小村峠は美しい。

所変わり、東京駅丸の内口で時間調整。
赤く色づき、責任を果たしたケヤキの葉が風に吹かれて肩に舞う。
思い出したのは第8代柏崎市長故西川正純さんだった。
以下は、お別れの会に寄稿させていただいた文章の抜粋である。

写真:黄色く色づいた広葉樹

「あっ、正純さん、…」と声を上げそうになることがあります。
車を運転される姿、歩く後ろ姿、見間違うことがあります。
メモに書かれた独特な文字。
私の意識の中には未だ西川正純さんが残っているのです。

市長として「柏崎刈羽原子力発電所の透明性を確保する地域の会」の設置、原子力発電所使用済核燃料税の創設、プルサーマル計画への対応、クリーンデー柏崎の開始、8号線バイパス建設着手、拉致問題解決などへのリーダーシップ、水球のまちへの取り組み。
実行力、人への思いやり。
今の私たち、柏崎市民は西川正純市長がなされた多くの仕事の恩恵を受けながら生活しております。

特に「地域の会」の創設、立ち上げは西川正純市長を象徴するものであったと考えております。
原発に対する考えはさまざまであります。
賛成の方も反対の方も容認の方も中立の方も一つ同じテーブルで柏崎のために議論する。
「地域の会」の存在は、日本はもとより、世界でも類を見ないものであり、極めて開明的であります。
西川正純市長はトップリーダーであり、開拓者でありました。
以前掲げられたキャッチフレーズ「進取 調和 廉潔」は正に西川市長を現すものであります。

本当にありがとうございました。

長崎の月(2022年11月号)

三男から妻宛てに九州土産が届き、太宰府天満宮の御朱印が入っていた。
もちろんお菓子も入っていた。
「こういう集め方反則じゃないか?」
「いいのよ、気持ちを込めてもらってきてくれるんだから」
「!? そもそも自分が心を浄め、願った証拠で…」
理想主義と現実主義のちょっとした認識の違いである。

数日後、私も長崎駅前のビジネスホテルにいた。
朝、窓の外を見ると高い位置に月が残り、静かに、かつ燦然と輝いていた。
その月光はコントラストとして前日訪れた広島、平和記念公園、原爆ドーム前での修学旅行生を思い出させた。

子どもたちは相変わらずで、太陽のようであった。
真面目に鉛筆を走らせ、メモを取る子もいれば、資料館の中で「走るな!」と言いたくなるような子もいる。

松井広島市長さんの核兵器廃絶に対する熱い想い、高邁な国家、市民観を伺ったことも私の意識の中で重ねて合わせられた。

「原発があるまちなのです」そう申し上げた私としては一定の誇りと、そしてどちらかと言えば躊躇が大きかったことを認める。
ここにも理想と現実があった。

写真:長崎の平和記念像。像は、右手を垂直に掲げ、左手は水平に伸ばし、軽く目を閉じ柔和な顔をした男性のようです。

長崎で乗ったタクシーの運転手さんは70歳代の被爆2世と伺った。
「今までほとんど支障は無かった。周りの2世からも特に聞いたことは無いなあ。原発? 今は必要だと思うけど」
さまざまな立場、生き様があり、考えがある。

ここ長崎ではご承知の通りキリスト教カトリックに歴史がある。
隠れキリシタンとして250年の忍従の時を過ごし、幕末、改めてプティジャン神父に「私たちは今もあなた様と同じ心なのです」と表明してきた信者の逸話は私にとっても福音であった。
キリスト教に御朱印はあるのだろうか。

秋のコンタクトレンズ(2022年10月号)

あんた、はや、窓が閉まるて!
(ドア!)
大丈夫! 首出してれば閉まらん
て!
(おいっ!)
そっちからノンなせ! はや!
はあ、良かった、間に合った
(間に合っていません!)
何で、こんが遅れたの?
いやあ、ちょっと、老眼なのか緑内障なのか目が見えなくなって、なかなか足の爪が切れなかったのよ。

羽越本線で無理やり耳に入ってきた会話である。
線路は先月号から続いている。
お休みの日、村上に行ってきた。
午前6時43分柏崎発、午前9時50分坂町(村上市)着。
山形県米沢に向かう米坂線は不通であり、荒川沿いに4時間程歩いてきた。

印象としては、一級河川である荒川の氾濫とともに、集落にある小河川が、裏山が、線状降水帯などという最近の言葉で、短時間集中豪雨によって耐えきれなくなったものと思われる。
こんがこと今までなかった、という地元の方の声は実感だろう。
思わぬことが突然、そして激しい形で起こる時代である。

しかし、今、見てきたような小河川、裏山を柏崎においてすぐに全部対応しろ、と言われたらば、無理です、優先順位をつけて取り組みます、と言わざるを得ない。
原発再稼働、海底直流送電、日中国交回復50年、拉致日朝20年、コロナ対応、学区再編、じょんのび、原子力防災避難路、鉄道、医療体制、企業統合etc.
私のクビはいつも洗われ、皮はだいぶ薄くなったようだ。

最近、遠近両用コンタクトレンズも導入した。
まだ慣れないが、皆さん、目の前のことも少し先のことも、自分の地域も柏崎のことも一緒に見ましょう。
動きは激しく、速い。
お願いいたします。

写真:つると葉の間に隠れるように咲くクズの花。紅紫色をしています。

クズと呼ばれるが、葛根湯でも知られる薬草であり、くず切りなど優秀な食材である。

続きはあるのか(2022年9月号)

線路は続くよ、どこまでも♪
というのは、現代においては幻想となるのかもしれない。

越後線はその前身の越後鉄道から110年の歴史。
東日本旅客鉄道株式会社は先般、柏崎・吉田間の乗客数の低迷、大幅な赤字を発表した。

信越本線は前身の北越鉄道から125年の歴史。
経営的観点からの今回の発表に名前は無かった。
一方、別の立場から、この信越本線をスキップするような動きが出てきた。
私は強い気持ちで臨んでいる。

続きはあるのか?という話はまだある。
我が鵜川町(現西本町3)青年会は大正11(1922)年、柏崎町の頃、発足し、本年、設立100年を迎えた。
10年前、青年会の定年を65歳まで延長し、卒業後即老人クラブに入会、という斬新な?案を酒飲み話で披露していたのだが、当時17人の青年会員は現在7人。

さて、令和7(2025)年3月、株式会社INPEXは、平井において天然ガスの歴史を踏まえ、水素の製造、日本で初めての商用水素発電を始める。
ご承知の通り水素は地球温暖化防止の旗手と世界的に期待されている。
また、柏崎の製造業を引っ張ってきた株式会社リケンもライバル企業との経営統合を来春行う、と電撃的に発表し、改めて水素エンジンへの挑戦を表明した。

さらにまた、7月、国は北海道、青森、秋田で作られる洋上風力発電の電力最大800万キロワットを首都圏に送るためには、日本海側海底直流送電に優位性がある、と発表した。
柏崎において揚陸を、という私たちの期待に一歩近づいた。
同時に原発も限定的ながら一定期間必要であるとも考えている。

いろいろなものが終わり、いろいろなものが始まる。
幕を閉じるものもあれば、形を変えて存続するものもある。
そこにはさまざまな課題、葛藤がある。
2年ぶりに改定する市勢要覧にこのように書いた。

「保守、そして進取」

伝統、歴史を大切なものとし、新たな可能性を開拓する。
先んずる精神。
柏崎は前に進みます。

時に大きな景色を(2022年8月号)

信濃川の川岸で風に吹かれ、この文章を書いている。
7月11日(月曜)、新潟出張、お昼休み。
水面にたゆたう波紋、日差しの中で走るランナーの息遣い、鳥のさえずり、少し離れた車の走行音のみが空気が流れ、時が動いていることを示している。
何ということのない日常である。

この半年、数年、思いもしないことに驚き、憤り、悲しんできた。
もちろん、楽しい、うれしいこともあったはずなのだが、理不尽、不条理、いかんともしがたい事実の前に、人間、人生、運命、深く考えさせられることが多かったように思える。
私自身も右往左往し、不安に陥り、一方改めて確信したこともあった。

7月26日のぎおん柏崎まつり「海の大花火大会」のことを考えている。
この原稿が皆さんの目に触れる頃には「過去」となっているはずである。
無事で、楽しいものであってほしいと心から願い、祈り、準備している。

信濃川の川面を見ていると『次郎物語』(下村湖人)を思い出す。
映画では、主人公次郎の悩みを加藤剛演じる父が遠くを見晴るかす大屋根の上で聞き「男は大きな河になれ」と歌うのである。

柏崎にも大きな景色はある。
米山町聖ヶ鼻の灯台跡、また米山登山道林道コースから見下ろす240度の夕焼け、西山・石地からの夕陽は正にビッグオレンジである。
鵜川・市野新田、林道を上り詰めた茶店跡、また野田の峠(正式には旧柿崎町)から見返す黒姫の姿、冬、国道252号線加納から見える八石の山は凛としていて、懐が広い。
黒姫人参の里、高柳・磯野辺、岩壁の迫力。
まだまだある。

夕暮れ時の風景。空に浮かぶ雲も川面も、夕焼け色に染まっています

時代は動いている。
気候変動も著しく、経済の流れは激しく、速い。
これからもさらに予想もし得ないことが起こり、私たちの身の回りで現在進行形となるであろう。
そんな時、私たちは子どもたちを外に連れ出してあげましょう。
そして、共に大きな景色を目にしよう。
海、山、川で遊びましょう。

父の日、母の日、贈り物(2022年7月号)

「何かあったか?」
「ん? 何のこと?」
「この頃、奥さん、出てこないけど」
「ああ、別に、大丈夫、相変わらずだよ」

ウチの妻がこの市長随想に出てこない、という友人の心配である。

「あああ、弁償! 高かったのに!」

ウナギの蒲焼きをグリルで焼き直したのだが、私はタイマーがセットされていると思い、音が鳴るのを待っていたのである。
父の日のウナギは黒焼きとなった。
「焼き具合を見ながらお願いって、言ったじゃない!」
「・・・・・」

さて、我が家のもう一人の女性、母は86歳を前に、体調を崩し入院し、1カ月を経て退院してきた。
父は10年ほど前に亡くなっているので唯一の親である。
世間には両親共に生き別れ、という場合もあるのだから私など幸いと思わなければならないのだろう。

親孝行をしているかと言われれば残念ながらである。
私のアップダウンの激しい60年を見守ってきてくれたのだが、母の日も花を思い出したときに贈る程度であった。

ザルに盛られたキュウリとトマトのイラスト

だいたい私は「何とかの日」に決まったものを贈るというのは趣味ではない。
たぶんカーネーションは買ったことがない。
番神での畑仕事が母の楽しみであったのだが、今はそれもかなわず、その畑の草刈りを私が行う。
せめてものことである。
代わりにトマト、キュウリのプランター栽培セットを自宅に買ってきた。
それぞれ黄色い花が咲いている。

妻の父は30年前、60歳で亡くなった。
初孫に贈り物をしたい、と年金受給を早めたのだが、数回で終わってしまった。
カメラが趣味の、本当にやさしい職人さんだった。
万事不条理である。

我が家では母を除き「明日から納豆生活!」が高らかに宣言された。

タコ、マグロ、心意気(2022年6月号)

緑濃き6月である。
そして、海ではマグロの季節である。
回遊して佐渡沖までやってくるのだ。

学生時代、本当に色々なアルバイトをやらせていただき、それぞれ思い出深いが、中でも築地魚市場場内、マグロ卸問屋でのものは出色である。

朝4時からお昼まで。
私はまず親方がセリで落としたカチンコチンのマグロを台車に乗せ、店まで運ぶ。
親方が背骨に電動ノコギリを入れ、半分にする。
半分になったマグロにマサカリを当て、掛矢でガンガン叩いて4分の1にするというのが私の仕事であった。

マグロ屋は場内の華である。
親方がマグロを乗せた台車を引っ張るとみんなが道を開けてくれる。
「こらあ、タコ、ほら、早くどけ!」親方が隣のタコ屋さんに声を掛けると
「うるせえ、マックロ!」と言いながらどいてくれるのである。

仕事に慣れてきて、台車を任された時、私も調子に乗って「ほらあ、タコタコ、どけどけ!」とやってみた。
「おめえに言われることはねえ!ばかやろう!」とタコ屋のオヤジさんにゲンコツを食らった。
全くその通りです。申し訳ありませんでした。

「おい、あんちゃん、俺たちはなあ、マグロだろうと、タコだろうと、ウチのが一番だと思って売ってんだ。河岸の男が、いらっしゃいませ、じゃねえだろう。へい、らっしゃい、だろ。心意気よ、心意気。」
と説教!?いただいた。
40年前のことである。

市勢要覧の表紙に「柏崎 ―保守、そして進取―」と書いている。
伝統、歴史を大切にし、誇りを持ち、しかし、そこにとどまらない。
新しいものを求め、進んでいく。
それこそが柏崎だと信じている。
公文書において元号と西暦の併記を3年前から始めている。
運転免許証、各新聞の発行日は併記であるが、全国1718の市町村の中で初めてである。
3年ぶりのえんま市がやってくる。
ぎおん柏崎まつりもやってくる。
柏崎の心意気を示したい。へい、らっしゃい!

真っ赤なタコとマグロ、元号と西暦を併記した文書のイラスト

月(2022年5月号)

美しい月であった。
見事なほどにシャープな三日月であった。
仕事を終え、市役所を出て、ふと見上げるとそこにあった。

月見れば千々にものこそ悲しけれ 我が身一つの秋にはあらねど(大江千里)

今、秋ではないし、私だけではない、ウクライナでもロシアでも見えているはずの月。

日本語は難しい。
しんこう、と打って侵攻、信仰。
これほどの同音異義語があるだろうか。

作家村上春樹氏の言葉が胸に刺さる。
「音楽に戦争をやめさせることができるか?
たぶん無理ですね。
でも聴く人に『戦争をやめさせなくちゃ』という気持を起こさせることは、きっと音楽にもできるはずです」

本来、政治も人の気持ちを喚起させるものだと思う。
うれしい、楽しい、美しいものを導き、悲しい、苦しい、ねたましい、を排除すること。
私もまさに微力ながら、さもしい、心卑しい気持ちを施策において喚起しないように努めてきたつもりだが、難しい。

「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である」
ご承知の通り、明治末年『青鞜』を発刊し、女性解放を訴えた平塚らいてうの言葉である。
ペンネーム、雷鳥であり、本名は平塚明(ひらつかはる)。
名には、読み方において希望が含まれているではないか。
文字において日(太陽)と月が寄り添っているではないか。
だから「明るさ」が生まれるのではないか。
平塚自身の認識と異なるのかもしれぬが、そのように思う。

写真:青空の下、柏崎市役所の前で風になびく日本とウクライナの両国旗と柏崎市の旗

コロナ。戦争。
皆が困り、不安になっている。
自分より困っているのは、不安になっているのは誰であろうか。
寄り添い、お互い想像しようではないか。
文字通り心配、心を配り、思いやろうではないか。
その時、月はより明るく、温かく見えると思う。

理想と現実(2022年4月号)

理想をはるかに乗り越える圧倒的な現実があるとき、私たちはしばし呆然とし、立ち尽くす。
しかし、現実はその暇さえ許さないかのようなスピードで押し寄せてくる。
立ち尽くしてなどいられないのだ。
一刻も早くそれぞれができるところでできる限りのことをしなければならない。

テレビを見て、新聞を読んで、ネットから情報を仕入れ、自分は何ができるのだろう、とわずかな間であっても考えることは有効だ。
思いを致すということだ。
そして、可能な方は少しでも何か行動する。

原子力発電所の存在ももちろん見逃せない現実だ。
ヨーロッパ各国でも天然ガスの供給が途絶えそうになる時、やはり原発が必要だと考える動きがあり、一方で原子力施設が攻撃、占拠され、軍事戦略に「使われる」という事態に多くの国々が強い憤りと大きな不安を抱いている。

現実はテレビの中だけでなく、柏崎にもある。
柏崎の人口は3月3日をもち、8万人を切り、7万人台になった。
出生数は昨年令和3(2021)年、377人であった。
平成12(2000)年832人であったものが半分以下となった。

第五次総合計画後期基本計画がこの4月から動き出す。
産業、福祉、教育、いずれの施策も「今まで通り」にはいかない。

柏崎の花は、大崎の雪割草、伊毛の椿、高内山、大日山のカタクリ、雪割草から谷根の花桃、赤坂山、水源地、石川峠の桜、谷川新田の八重桜と移っていく。
私たちはこの春を大切なものとして受け止めたい。

写真:市役所内に掲示された日本国旗と市章とウクライナ国旗

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更新日:2022年12月05日