柏崎市名所案内「上条城跡(じょうじょうじょうせき)」

越後守護上杉家を支えた館城

上条城の本丸跡はたくさんの木々に囲まれ開けた場所になっている様子の写真

上条城は、戦国時代に政庁として標高15メートルの丘陵上に構築された館城です。城跡の東側を流れる鵜川は、外堀の役割を果たしていました。

この地は、東に標高186メートルの高河内山があり、ここを越えると鯖石川・北条城跡・善根城跡があります。
鵜川に沿って南に行くと標高889メートルの黒姫山、標高623メートルの鷲の巣山があり、これらの山を越えると東頚城の松代と大島に至ります。
西には標高993メートルの霊峰米山と旗持城跡などがあり、国府のあった上越地方とは全く区切られています。

柏崎は、室町・戦国時代の越後守護であった上杉家にとっては、国府の直江津(現上越市)から中越・下越地方へ通ずる交通路の要衝の地として位置づけられていました。また、鎌倉時代から在地支配を行い、勢力を扶植してきた北条の北条毛利氏や安田の安田毛利氏、赤田の斎藤氏、琵琶島の宇佐美氏など、有力な土豪がひしめいていたところでもありました。こうしたことから、国府の第三代越後守護上杉房方は、自分の子である清方を上条城に配し、守護に対抗する在地土豪のけん制や情報収集にあたらせました。清方は、守護上杉家の分家であり、上条上杉家の祖となります。

なお、清方の子の房定と孫の定実は、それぞれ本家の守護上杉家に養子となり、守護上杉家を相続しています。そのため、上条氏は、越後上杉氏の筆頭一族として、守護代の長尾家とたびたび戦うこととなりました。特に、清方の孫である定憲は、長尾為景(上杉謙信の父)と抗争を繰り返し、不屈の闘志で戦った戦国時代の武将であったと云われています。

上条城址に続く道はきれいに整備され入り口を示す石碑が建てられている写真

上条城址に続く道

林の中を通る上条城址の二の丸跡へ続く道の写真

上条城址の二の丸跡へ続く道

地元に伝わる国指定民俗文化財「綾子舞」

越後守護上杉房能の奥方綾子の方が伝えたとする説と、京都北野神社の巫女文子の舞ったものが伝えられたとする説があります。

(注意)房能は上条上杉家の祖である清方の孫。

所在地

柏崎市上条地内

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更新日:2020年10月21日