令和8(2026)年度の市長随想
このページは、「広報かしわざき」に掲載した記事をもとに作成しています。
AIは地球を救うのか(2026年10月号)
AI(人工知脳)の使用が当たり前になってきている。
ウチの妻は編み物の設計図である「編み図」をAIに命じている。
プロンプト(指示)が曖昧だから、AIも困っているらしい。
「もっとしっかりして!」とAIに活を入れる姿はなかなか壮観である。
かくいう私も活用し「さすが!」と褒める時もあれば「おのれ、AIの分際で!」と心の中で叫ぶ時もある(パワハラにはあたらないハズ)。
その使用電力はスマホの検索機能で使う時の10倍もの量、さらに大量の電力を使い、大量の熱を出すデータセンターが必須であるという。
「柏崎市のサクライ市長は、この(原発)再稼働計画を異なる視点で捉えています。彼は、経済的なメリットに加え、この決定を気候変動対策として不可欠なものと位置付けています。気候変動は日本全国に影響を及ぼす危機であり、深刻な問題であると彼は述べています。
サクライ氏は最近のヒマラヤへの旅で、氷河、雪解けの水が水力発電所のダムからあふれ出ているのを目の当たりにし、地球温暖化が急速に進行していることを痛感したと語りました」
(2026年1月23日アメリカ・The NewYorkTimes 櫻井訳)
8月下旬、ネパールでは大洪水。
当該地ではほとんど雨は降っていなかった。
氷河の大規模崩壊が原因といわれている。
白露、秋分、寒露、霜降。
私たちが1500年ほど前から引き継いできた繊細な感受性に基づく自然の指標、時間軸が崩れてきている。
「直ちに命を守るための最善の行動をとってください」
特別警報、ゲリラ豪雨、線状降水帯など、二十四節気とは対極的な言葉が並ぶ。
残念ながら犠牲になられた方も多い。
心よりご冥福をお祈りする。
大いなる矛盾の中で生きている。
自分に言い聞かせている。かなり瀬戸際だと思う。
一山男の実感である。
イタリア・氷河末端
雨上がり二景(2026年9月号)
7月26日、ぎおん柏崎まつり海の大花火大会。
午後6時15分 ご来賓へのあいさつ回り。
午後6時40分 本部テントで開会準備。
二つのスマホで、違う天気予報会社の雨雲レーダーを確認しようとするが、人出ゆえに電波がつながらない。
市役所で雨雲を確認してもらう。
「1時間ほど雨です」
午後7時前、雨が降り始める。大粒だ。
花角知事ご夫妻もお着きになったとのこと、あいさつに伺う。
お二人はビニール雨具である。「申し訳ありません」
午後7時20分ごろから土砂降り、突風。
本部、職員のスマホで、雨雲レーダーを確認する。
キャリアが違うとつながるらしい。
「市長、7時45分には雲が抜けます」
「よし、もう一度見せて!」「はい」
「もう一度!」「はい」
「よし、7時40分からあいさつでつないで、7時45分に点火だ! 花火屋さんに連絡!」「市長、有料観覧席で、『花火を終了します』という放送が流れたようです!」
「ん? どういうことだ!」「分かりません」
「…とにかく放送だ。7時45分に花火を始めます! と」
誤放送の原因は強い風雨の直撃を受けたシステムが誤作動を起こし、事前に録音していた「万が一用のフレーズ」が流れてしまったらしい。
15分遅れで始まった花火は終了まで雨に降られることはなかった。
あいさつの内容でも一部お叱りをいただいた。
今年だけはお許しください。
皆さま、不手際を含め、本当に申し訳ありませんでした。
「今年の花火はすごかったね」
「忘れられない花火になったわ」
人様の言葉と今年から流したエンディングメロディ「浜千鳥」が身に染みた。
東京出張。
新幹線の中から、八海山が雲間から黒く、そのごつごつとした姿をくっきりと見せている。
先ほどまで降っていた強い雨が大気中のちりを流し去ったのだろう。
雨上がり、その透明感、見通しは明るい。
秋になった。
上野の夏(2026年8月号)
女の子が泣いている。
「いやだ。もう歩かない」
「もう少しだから」
「歩かない! パンダがいない」
わんわん泣いている。
母親が何と言って連れてきたのか想像できる。
どうするんだろうか?と気になりながら、母娘の脇を通り過ぎる。
大きく育った公園の木々は一時の涼しさを提供するべく、緑陰を作り出している。
しかし、梢の間から差す夏の日差しは強く、女の子がさらに駄々をこねる理由に十分である。
ここは上野公園。
本日、土曜午後の柏崎高校同窓会「東京柏会」総会に出席するため、時間調整をしている。
ゴッホ展に行こうと思ったのだが、展示会場に入るのも、ミュージアムショップに入るのも長蛇の列。
やめた、やめた。
いつもの国立西洋美術館で静かに名画に囲まれながら読書、と言えば格好いいがうたたねをしてきた。
先々週は商業高校の「東京柏商同窓会」であった。
会場は日暮里。
やはり年配の皆さんは上野界隈にさまざまな思いがあるのだろうか。
かくいう私もである。
まず、高校の卒業式、「大学落ちたのに出られるか!」と欠席、友人と二人、不忍の池近くで良からぬ映画を見て、卒業式とした。
入谷の朝顔市、谷中で有名人のお墓を探し、御徒町アメ横では今でもある米軍払い下げの店でジーンズを買ってみたりもした。
日雇いのバイトもした。
上越線、東北本線の発着駅でもある。
啄木でなくとも時々その空気を味わいたくなるところである。
そして、何といっても上野動物園、パンダ。
私は、青海川の風の丘にパンダを連れてきたいなあ、と考え、昨年、中国でそのようにあいさつした。
そしたら、危ないものも飛んでこないだろう、と。
けど、タイ焼きのみならず、パンダ焼きなんてつくっている国だからなあ。
上野、あか抜けず、猥雑(わいざつ)で、人の営みが間近に感じられる街である。
大好きな街である。
駄々をこねる女の子の泣き声が64歳、元男の子の身に染みる。
海・山・川・マチで考える(2026年7月号)
クマが、立てこもった建物の中で水道の蛇口をひねり、水を飲み、窓のカギを開けて外に出た、らしい。
ホントに?と誰もが思った。
被害、犠牲者が相次ぎ、由々しき事態である。
「熊」は、もともと「能」という文字に由来し、尾を振り上げ、口を開けて襲いかかる動物、象形文字だという。
こんな感じだろうか。
考えてみれば深山にいて、限られたヒトだけがさまざまな「能力」に遭遇し、恩恵を受けてきた。
すみ分けができていた。
柏崎ではクマによる被害は出ていないが、駅前の銀行にカモシカが立てこもったことは全国ニュースとなった。
当該銀行は後始末が大変だったと聞く。
カモシカには山中でも何度も出会っている。
好奇心が強い動物でこちらをじっと見つめ、そのうち文字通りカモシカのような足で、逃げていく。
襲ってくるようなことはなかった。
熊にせよ、カモシカにせよ、その生態はおかしい。
柏崎の海ではハチメが全く獲れないと聞く。
従来見られなかったクロマグロの大群が根魚であるハチメを追いやっているとも聞いた。
マグロには厳しい漁獲制限がある。
一方、谷根川のサケは最盛期の十分の一以下だった。
クマ、カモシカをマチに追いやっているのはヒトである。
35度、37度という気温は子どもたちを海水浴場からエアコン完備のアクアパークやキッズマジックに誘導している。
そして、日本においてそのエアコンを動かしている電気の70%は二酸化炭素を大量に出す火力発電所由来である。
温暖化を進めている。
いったい私たちヒトは何をしているのだろうか。
夏、私の願い。
熱中症に気を付けながら、柏崎の子どもは海、山、川で遊んでもらいたい。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、お願いします。
一休さんはどこに(2026年6月号)
子どもの頃、一回だけお芝居をしたことがある。
一休さんと石燈籠の一人二役である。
近道となる橋の前に「はしをわたるべからず」と書かれた立札、困っている町人たち。
一休さんが「端(はし)ではなく、真ん中を歩けばよいのです」と率先して渡った、という頓智(とんち)話である。
もう一つは蟄居(ちっきょ)している「母上様」の庭に立つ石燈籠役である。
会いたいけれども会えない「母上様」を石燈籠になって見つめる、という凝った演出だったのか、単に人手不足だったのか、純真な子どもには分からず、ただじっとしていた。
その私も今となっては常に芝居を打つ、心悪しき大人である。
時の権力者、金閣寺を建立した室町幕府第三代将軍足利義満が「屏風絵の虎が時に抜け出し、暴れる。何とかしてもらいたい」と難題を出したところ、一休は「分かりました。捕まえますから早く虎を出してください」と応えたという話も有名だ。
そもそも頓智とは「智にぬかずく」つまり、なるほど、と頭を下げる当意即妙な知恵、機転、ユーモアをも含んでいると思われる。
先般、英国王がアメリカ合衆国で演説をなさったが、ユーモアに富み好評だったと聞く。
そこにはエスプリも混ぜられていたようだ。
『エスプリとユーモア』(河盛好蔵)は古典的な名著だが、フランス由来のエスプリはちくりと一刺しの皮肉、鋭角的なものがあり、イギリス由来のユーモアは自らをも含んで笑う共有的なものがあると思う。
「貴方はこんなことになるとは思っていなかったのでしょう? 地球温暖化なんてない! 油田を掘って、掘って、掘りまくれっておっしゃっていますが」
「その通りだ」
「この状況を日本語では中国の文字を使って、油断大敵、と言います」
私の遠吠えである。三休。
こどもの日に思う(2026年5月号)
随分前にタレントの小錦さんや狂言師の野村萬斎さんが出演されていた、文字通り日本語で遊ぶ、子ども向けのテレビ番組があった。
萬斎さんが繰り返していた「ややこしや」は「稚(やや)児(こ)しい」、赤ちゃんは大変だ、制御できない、というところからきている。
対義語は「大人しい」である。
一方、「おとなしい」に当てる漢字は「音無し」という場合もある。
つまり、思慮分別があり、静かな人が大人である。
世界では「大人しくなく」かつ「音無しくない」人間が世界を混乱に導いている。
もういい加減にしてもらいたい。
わが国もわが国である。
国の予備費を使って、ガソリンが安くなることや一部消費税が一時的にゼロになることを喜んでいいんだろうか。
柏崎は教育に最大限の力を入れている。
現場の先生方にも頑張っていただき、長年低迷していた柏崎の小学校、中学校の子どもたちの学力は県、全国平均を超えるようになった。
しかし、力を抜けばまた元に戻ってしまう。
本人たちの努力、家庭の応援、理解も大切な要素である。
もちろんみんながみんな大学に進まなくてもよい。
しかし、これからの時代、いずれの道に進むにせよ基礎学力は絶対的に大切である。
柏崎の子のみならず、ウクライナ、ロシア、イラン、アメリカ、ガザ、イスラエルの子のためにも、一刻も早い平和、学べる環境の回復が望まれる。
心より願う。
私たち一人一人が認識しなければならないと思う。
今年は薫風、新緑をことさら有り難(がた)く思う。
菜の花や月は東に日は西に(与謝蕪村)
ささやかな人生とランドセル(2026年4月号)
入学式、入社式。
日本では多くの学校、会社で4月始まりである。
よく言われることだが何で?
桜が咲く季節だから?
「やっぱり入学式は桜でしょ」と主張する方も多い。
確かに桜の花の下でランドセルを背負った男の子、女の子が家族と共に写真を撮るというのは日本ならでは。
美しい。
欧米はじめアジアでも9月始まりの学校が多い。
「おぬしらは桜が無いからのう」と時代錯誤の私はひそかにほくそ笑み、日本人としてささやかな優越感に浸るのである。
そもそも国と花をイメージするのは、オランダ・チューリップ、ウクライナ・ひまわり(ソフィア・ローレン主演の映画)、イギリス・バラ、インド・蓮、ぐらいである。
私的には。
ランドセルの母国?であるオランダでも学校は9月始まりであり、チューリップに囲まれたピカピカの1年生ということにはなっていない。
そもそもオランダの子どもはランドセルなど背負っていない。
軍用背負いカバンだった「ランセル」が訛って「ランドセル」になったという。
それも明治からのものだという。
さて「木を見て森を見ず」減税にうつつを抜かすヘイワニッポン。
世界は戦争である。
ウクライナが一方的な侵攻を受けてから4年が過ぎたが、いまだ平和は訪れていない。
そして、中東。
気候変動、温暖化は進み、入学式には既に桜が散っていたという地方も多くなってきた。
本当にこんなことでいいのだろうか。
「花びらが散ったあとの 桜がとても冷たくされるように…」
と始まる春の名曲、伊勢正三作詞・作曲の『ささやかなこの人生』を口ずさむのである。
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更新日:2026年10月05日