令和3(2021)年度の市長随想
このページは、「広報かしわざき」に掲載した記事をもとに作成しています。
春のメガネ(2022年3月号)
フキノトウの早緑は雪国において多くの人が待ち望む。
その柔らかな色はみずみずしく、まばゆい。
目に入る春の海、山野の色彩はやさしく、希望に満ちている。
早春の味わいはジバサ、岩ノリ、セリ、フキノトウと続き、日本酒からビールへとその割合が変わる頃、私は春を実感する。
もう一つ。
気温の上昇と共にメガネの曇りが解消されること。
この2年間、マスクを付けざるを得ず、冬の外気と自分の呼気でどうしても曇ってしまう。
朝の通勤時、夜の退勤時、道端で「ご苦労さん」等と声を掛けていただいてもその声の主が曇りのかなたなのである。
失礼をお許しください。
いつぞやは家人に気付かず「ご心配をお掛けしています」等と対応してしまい、大損をした気分であった。
実は東京で教員をしていた頃、コンタクトレンズに変えたことがあった。
夏、帰省、谷根川を海から遡行、猿飛橋付近の小さな滝を登った時、冷たい水にメガネが曇り、岩をつかみ損ね、滝つぼに落ちてしまった。
これは、と思い、一念発起したのである。
しかし「コンタクト似合わない!」との生徒のさんざんな評価で(メガネが似合う、と言ってくれよ)、一瞬にしてメガネに戻った。
今年の春も文字通り色とりどりであり、皆さんのお考えもさまざまであります。
私の物言いで不愉快な思いをおかけしていることも多々あろうかと思います。おわび申し上げます。
一方、行政を預からせていただく立場では一定の方向性も求められます。
近いところも、少し遠いところも見なければなりません。決めていかなければなりません。
心掛けていることは、この仕事は何のためか、本来的な目標を見失わないように、ということです。
遠近両用となったメガネの曇りを拭きながら、クリアな視点で「早緑」を探したいと思います。
皆さんの春の色も教えてください。
花(2022年2月号)
どの世界にも華と呼ばれる存在がある。
それを支える裏方さんがいる。
文字通り表裏、あこがれと感謝である。
伝統は、革新の連続。華やかな西陣の織物職人さんの言葉である。
なるほどなあ、と感心して聞いていた。
私は貴方、貴方は私、という歯が浮くような言葉も聞いたことがある(ウチでは聞いたことが無い)。
非論理的だが、何となく分かる。
さて、次のシーンはウチのことではない。創作である。
私はテレビで中島みゆきを観ている。聴いている。
♪縦の糸はあなた 横の糸は私♪
「中島みゆき、って、いいよね」
「うん、いい」
「わかれうた、っていつの曲?」
「昔」
「どうやって出てきたの?」
「オールナイトニッポン!」
「えっ?」
「……」
「ちょっと―、聞いてる⁉」
「きいてる!」
「本当に!?(怒りマーク)!!」
私はただ中島みゆきを「聴いて」いるだけである。
専守防衛。
私は私、貴方も私、縦糸、横糸なかなか紡がれず、思いやりの花が開かない、こともある。
反省。
以上、あくまでも創作である。
閑話休題。
2月11日からソフィアセンター(図書館)で「柏崎の花 ―spring collection―」を開催する。
「花」をテーマに、絵画、写真、生け花、大崎の雪割草、財団法人黒船館(花田屋)様はじめ収蔵家のご協力で正に花の名品を集める。
初めての企画である。
真冬に春を感じていただきたい。
今年はえんま市にサーカスを呼びたい、2年も休んだ海の大花火大会は今まで以上に華やかにしたい、それぞれ裏方に徹する市職員が「花」を演出するべく頑張ってくれている。
ご期待ください。
新年の誓い(2022年1月号)
令和4(2022)年、明けましておめでとうございます。
理想の極は遠けれど あこがれ常に高鳴りぬ
柏崎市立第一中学校校歌の一節である。
作詞は、柏崎が誇るジャーナリスト「越後タイムス」「柏崎日報」主幹を務めた中村葉月である。
私は2年前、令和2(2020)年の施政方針をこう結んだ。
薬師寺 東塔
「元号・西暦併記を始めました。日本、元号、伝統、文化を大切なものとし、国際社会の中での日本、柏崎の位置付けが求められていると考え、併記こそ実質的であり、この考え方は広まっていくと確信し、始めたわけであります。
柏崎は、常に漸進的なイノベーターでありました。そのことが柏崎の存在価値であり、アイデンティティなのであります。
糸魚川出身の歌人・良寛研究家でもあった相馬御風は、作詞した早稲田大学校歌にこう記しました。
『現世を忘れぬ久遠の理想』
私は現実を忘れることなく、理想を求めます。理想を見失うことなく、現実を極めます。私は徒に理想を求めません。私は徒に現実に妥協いたしません」
山形県酒田市出身の写真家土門拳の作品に「筑豊のこどもたち」シリーズがある。
戦後、エネルギー革命、炭鉱の閉山、多くの失業者。おかっぱ頭の女の子、丸刈り頭の男の子が昼食、簡素な弁当に向かう中で、雑誌を読む女の子がいる。弁当を持ってくることができないのだ。
空腹に耐え、静かにこの時間が終ることを待っている。耐えている。
もちろん時代は変わっている。価値観は多様だ。変化は速い。
私は改めて誓う。
安全と安心、豊かさ、合理と非合理、デジタル、アナログ、理想、現実。徐々に、しかし確実に柏崎を前に進める。
私が見えていないものも沢山あるだろう。ご指摘、ご指導ください。
本年もよろしくお願いいたします。
メイク ドラマ(2021年12月号)
結構ドラマを観ている。
今年のベストは西山町浜忠でロケが行われた「TOKYO MER~走る救急救命室~」だったと思う。
鈴木亮平さん演じる主役のドクターが「過去」を背負いながらも仲間たちと絶対無理と思われるような状況の中で命を救っていくという展開であった。
ロケ地にて米山プリンセスを差し入れしたとき、共演していた賀来賢人さんに「私、かつて叔母さんの賀来千賀子さんが卒業された学校の教員をしていたんです!」と伝え、皆さんから「おおっー!」と寂しい笑いを頂戴した。
確かに(それがどうした!)ってなもんである。
昔、ドラマが作りたくてテレビ局を受けたことがある。
結構いいところまで進み、重役面接。
「どんなドラマを作りたいんだ?」
「はい『俺たちの旅20年目の再会』をぜひ作らせてください」
その局でやっていた中村雅俊さん主演のドラマを挙げた。
「そうか、なるほど、なかなかいいね。ところで君、野球は好きかね?」
「はいっ。タイガースのファンです」
「・・・・・。君、変わっているね」
「はいっ?」
受けていたのはジャイアンツの関連会社であった。忘れていた。
メイクドラマは叶わなかった。
そして、私はその後アップダウンの激しい時を経て、現在に至るのである。
「なんか続けるっつうことはよ、おんなじことを何でもざーってやんなきゃいけねえってことじゃねえんだよ。
変えなきゃいけねえものは、とっとと変えてよ、大事なものを守ってきゃいいんだよ」
朝の連続ドラマ「おかえりモネ」で藤竜也さん演じるおじいちゃんのセリフである。
明朗、快活な若い女性が主人公であることが多かったこの時間帯の一連のドラマの中で、内省的な、落ち着いた小声で話すヒロイン清原果耶さんも新鮮、出色の演技だった。
トゲ、イガ、栗ようかん(2021年11月号)
「痛っ!」
「あっ、ごめん、ごめん」
(頼む、やさしくして!)
「見えないのよ」
(ローガンです)
右人差し指に刺さったトゲを抜いてもらっている。
というよりも消毒した針でつついてもらっている。
8月、番神の自然水族館で子どもたちに紫ウニを見せてあげていた時に刺さったものである。
2カ月も大切にとどめていた。
昨年も同じようなことがあり、本物のお医者さんに伺い、指先に麻酔をかけ、除去していただいた。
1ミリもないようなものなのだが痛い。
私などはいつも「トゲのある男」と見られているのかもしれないのだが、実はトゲがよく刺さる男というのが正確なのかもしれない。
トゲと似ているものにイガがある。秋の味覚栗は非常に甘く、おいしいが、イガに取り囲まれ、その中身は固い殻や鬼皮に覆われている。
過日、少し歩いたとき、山栗が落ちており、拾ってきた。
小さいけれども、栽培種よりも甘い。
面倒ではあったが、ゆでてむき、つぶし、裏ごしまではしなかったが栗ようかんを作ってみた。
思いの外よくできた。
そして、その結果、また右人差し指にイガの一部が刺さっているのである。
誰しも心のどこかに刺さるトゲを一つ二つ持っていると思う。
それはその人だけが感じる痛みであり、他の人には分からず、そしてなかなか抜けない。私のトゲがどなたかの心に刺さっている場合もあるだろう。
意図したことではないにしろ申し訳なく思う。
自分の痛みから人様の痛みを想像するしかない。
甘い栗ようかんにフォークを押し当て、人差し指のばんそうこうを見つめるのである。
「頼む」
「またあ!」
アリの一歩と駅前公園(2021年10月号)
アリが木を上っている。
2階の窓に届かんとする家のコナラの木は4メートルほどだろうか。
アリの体長は5ミリメートル ほどだから体長の800倍の長さを上ってきている。
そして、また巣に帰るのだ。
1往復1600倍。
1日何往復?
「アリも大変だなあ」と見ていたのである。
私は身長177センチメートル なので、その1600倍は2832メートル、3キロメートル弱。
それほどではなかった。
東京出張もコロナでこの頃ほとんどなくなったが、1日3万歩、距離にして23キロメートル歩いたこともある(アリよりもウチの秘書の方が大変であった)。
ただ、アリは「蟻の一穴」という言葉や「アリとキリギリス」の童話にあるように、小さいけれど
も決して侮れない、地道な存在なのだ。
ひたすら歩いている。
この秋、あちらこちらでウオーキングイベントがコロナに配慮しながら行われる。
駅前公園に立ち寄り、一休みしていただきたい。
伊藤豊氏作製のモニュメント「太陽を担う男達」がある。
柏崎市制50周年を記念して作られたものである。
30年前である。
「二十一世紀に向けてエネルギー源の国家的課題を担い 更に大きく飛躍することを市民共々に誓い」と飯塚正市長の言葉が刻まれている。
私たちは100年歩き続けてきた。
石油に始まり、原子力、そして太陽光、風力、バイオマス、水素。
行ったり来たり、少しずつだが、確実に前に進んでいる。
「ちょっとぉ、アリが入ってきているんだけど」虫嫌いのウチの女王が宣う。
現実に引き戻される。
ちなみに日頃見る働きアリは全てメスで寿命は1~2年、オスは繁殖期のみに生まれ、その目的を果たしたら数カ月で一生を終えるという。
女王アリは10年~20年生きるという。
男女共同参画社会を求む。
感じる夏、考える夏(2021年9月号)
8月が終わった。
オリンピック。
水球では志水祐介選手、棚村克行選手、稲場悠介選手、小出未来選手、津崎明日美審判員、セーリングでは富澤慎選手。お疲れ様でした。
身近な顔の大活躍、与えてくださった夢。
特に子どもたちが喜んだ。本当にありがとうございました。
水球男子はホストタウンとして応援をしてきたセルビアが2連覇。おめでとうございます。
感じたことを一言ずつ。
まず、開会式約4時間、閉会式約2時間20分、長すぎる。
あいさつ、長すぎる。
ピクトグラムパフォーマンス、秀逸、スマートだった。
水谷隼・伊藤美誠選手、混合ダブルス、日本卓球史上初の金メダル。
特に準々決勝のドイツ戦。
3度のマッチポイントからの大逆転勝利。
あきらめない。
さわやかな2人から教えてもらった。
ソフトボール。
レジェンド上野由岐子投手から継投した20歳後藤希友投手の思い切りの良さ。
体操は絶対神内村航平選手の鉄棒落下と19歳橋本大輝選手の金メダル。
厳しいコントラスト、潔い世代交代。
「もう僕は主役じゃない。本当に申し訳ない」と代表を争った選手の名をあげ頭を下げる内村選手は男前である。
空手男子形・喜友名諒選手の眼力、整えられているが故の強さ、品格。
沖縄の力に心動かされる金メダルだった。
38度の夏、20度の夏。異常である。
国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が「人間の活動が原因である」と断定した。
世界的規模の温暖化、乾燥化、海水温の上昇、洪水、山火事。
西日本はじめ各所の豪雨。尊い命が多く失われている。
柏崎でも一昨年の無雪、今年のドカ雪。
番神の自然水族館もぬるま湯だった。
CO2 を出さないグリーン水素によるオリンピック聖火は福島で作られ、史上初めてだった。地球温暖化を防ぐために私たち一人一人ができることは何か?(相変わらず先生みたい、宿題みたいでスミマセン)
皆さんの答え
「 」
甘党の思い(2021年8月号)
私は辛党であり、甘党でもある。
その私が好きなものの一つにシフォンケーキがある。
8月24日から開催される東京2020パラリンピック、卓球種目に出場するたけしさんのお兄さん、あきらさんが焼くシフォンケーキである。
障がいのあるご兄弟の気持ち、ご家族の思いが込もったケーキである。
お2人は高柳に所縁がある。
遠くの地で焼かれたケーキが送られてくる。
ご存じの方も多いと思うがシフォンケーキはふわふわで、軽く、そして甘い。
紅茶味も私の好みだ。
このケーキはあきらさんが小学1年生の時から「毎日1個」を目標にして、5年生の時にほぼ一人で作られるようになったという。
その傑作をホールでいただくのだが、私の口に入るのは常に一口、正に一口である。
しかし、その味は抜群である。
口に入った瞬間からそのやさしさが淡い甘みとなって溶け出す。
「本当においしいわ」
大半を食べる、完全甘党の妻、天下のお菓子評論家が言っているのだから間違いない。
最近、福祉法人新潟県視覚障害者福祉協会から「協会・点字図書館 創基100周年記念誌」を頂戴した。
副題に「姉崎文庫(存続する点字図書館の中で日本最古)」とある。
中心人物は柏崎の姉崎惣十郎(あねざき そうじゅうろう)。
宮川文平(ぶんぺい)、妙行寺(みょうぎょうじ)、また米山検校(よねやまけんぎょう)など固有名詞が次々出てくる。
柏崎の誇りとするところである。
私は幸いにして体に不自由なく日々過ごしている。
障がいのある方の生活を真に理解しているなどとは言えない。
しかし、私たちはほんの少し、ほんの一時であっても、異なる立場の方を想像したいと思う。
30年前、議員として当時の飯塚正市長に要求して初めてつけていただいた予算は点訳奉仕会から頼まれた点字タイプライター50万円だったように記憶している。
たけしさん、パラリンピック、応援しています!
メダルへ、スマッシュ!
水の季節とUターン(2021年7月号)
「危険な川です」
「役に立つ川です」
「楽しい川です」
市長にさせていただく前、北鯖石小学校4年生の授業で、洪水、農業用水の話をし、川遊びの講師をした。
山室の鯖石川の曲がりで、子どもたちにライフジャケットを付けさせ「川流れ」を体験させた。
下流で消防団の皆さまから待ち構えていただいた。
川の師匠と共に、前川、谷根川、鵜川でも鯨波、柏崎、新道など各小学校の子どもたちの相手もしてきた。
アユやカジカを捕らせたり、飛び込みをさせたり、ウオータースライダー? で滑らせたり。
「サクライさん、〇〇本が落ちていました」いわゆる悪書である。「どうしますか?」
捨てておけ、とは言えない。私が回収した。子どもたちの視線が厳しい。
川には遺憾ながらいろいろなものが落ちている。
いろいろなことを学ぶ。
今月は番神の自然水族館で磯遊びが、高柳の栃ケ原ダムでは初めての試みとして、カヌー体験が企画されている。
8月には市内小学6年生全員に国際貿易港として開港50年を迎える柏崎港から船に乗り、海上から柏崎のまちを見てもらう。
海上自衛隊舞鶴地方総監部の全面協力をいただく。
秋には赤岩ダムに船を浮かべ、柏崎自慢の「おいしい水」の水口「谷根川源流探検」を企画している。
川内の水源地に始まる柏崎の水の歴史を知ってもらいたい。
私たち人間も生物である。
さまざまな本能を有している。
しかし、その本能を忘れかけている。帰巣本能もその一つだ。
サケが生まれた川に戻ることは有名だが、私は人間にもあると確信している。
清水も濁水も淡水も海水も合わせ、接していただきたい。
河海不撰細流、故能就其深
(大きな河も海も細い小さな流れを集め、深いものとなった)
出典『文章軌範』
防災無線あれこれ(2021年6月号)
「市長さんですか?」と高校生から声を掛けられた。
違う場面で同じような内容である。
「防災無線の声いいですよね」
「もう一人の方の人です。すごくいいですよね。格好いい人ですか?」
「・・・・・」
可能性ある子どもたちに夢を与えた方がいいのか、それとも厳しい現実を教えた方がよいのか、一瞬迷ってしまい、答えに窮した。
子どもの頃のサンタクロース問題と同様である。
正しい答えは「すごく格好いい、英語も話せるバイリンガル、30歳代男性をイメージしたコンピューターによる機械音声なんだよ」となる。
機械男も勉強熱心で、ちゃんと「浜忠(はまつだ)」と読めるようになった。
善根(ぜごん)高畔(たかぜ)山澗(やまだに)と読む。
ここで、どうせ機械だったら女性の声はどうなの? という疑問が出てくる。
今の時代である。
事務方に確認したところ可能だという。
いつも同じ声だと緊張感も薄れてしまうので、女性バージョンも検討中である。
さて、私が読むことにも二つのご意見がある。
「大事な場面だけにした方がよい」
「市長の方が耳を傾ける」
コロナに関連して新しい場面や市民の皆さまへのお願いに関しては基本的に私が行う。
残念ながら関連して続くような場面は自動音声で行う。
どのような場面で、機械男か機械女か、はたまた私か。
アーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」を思い出す。
コンピューターHAL9000は反乱を起こした。
さまざまなことを考えなければならない。
防災無線の声なんてどうでもいい、という柏崎になるまで、皆さまのご協力、何卒よろしくお願いいたします。
力を合わせましょう。
少年の日の思い出(2021年5月号)
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲いているねと、ささやきながら。
春の小川は、さらさら行くよ。
えびやめだかや、小鮒の群れに、
今日も一日ひなたでおよぎ、
遊べ遊べと、ささやきながら
(「春の小川」文部省唱歌、昭和17(1942)年版。)
小学4年生くらいだったと思う。
私は柏崎の「春の小川」を求め、水道橋を渡り、大久保から昼なお薄暗い切り通しを抜け、鉄道を渡り、極楽寺さんを通らせていただき、国道を渡って田んぼにたどり着いた。
今の常盤台辺りだろう。
小川に、スミレやレンゲ、エビやメダカ、コブナを探し、騒いだ。
あぜ塗りを終えたばかりだったのか、農家のおじさんに「子どもが遊びにくるんじゃねえ」と怒られ、ほうほうの体で退散した。
59歳になった今でも、自分が描く理想の春の小川の姿を夢に見る。
どういう訳かその小川で泳いでいる。
そして、その川は富士の柿田川のように透明なのだ。
今や惜春の時期も過ぎ「夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が茂る(「茶摘」)」の季節となり「卯の花の匂う垣根にほととぎす早も来鳴きて、忍び音漏らす夏は来ぬ(「夏は来ぬ」)」となった。
文部省唱歌は美しく、ノスタルジックだ。
柏崎でレンゲの花は見掛けない。
バイカモが咲くような清流はない。
卯の花はもちろんオカラではなく、ウツギの花である。
白い花に香る垣根も見掛けない。
しかし、スミレは咲き、メダカやコブナは泳いでいる。
もうすぐピンク色のタニウツギが咲き始める。
海はきらめき、透明で、川ではアユが遡上を始め、山には柔らかな緑が陽光に透ける。
私の願いは、柏崎の子どもたちには柏崎の海、山、川で遊んでもらいたい、それだけだ。
明けない夜はない(2021年4月号)
はじめてのチュウ 君とチュウ
I will give you all my love
(「はじめてのチュウ」作詞・作曲 実川俊晴)
と、酎ハイのCMで松本まりかさんが歌う。
遠い昔を思い出し、いや思い出さないようにしている。
新型コロナウイルスに対応し始めて柏崎市は1年3カ月になる。
だが、数年前の、いや正に遠い昔のことのようにさえ思える。
この1年、あまりにも多くのことがありすぎた。
そして未だ進行中である。
コロナに関連してあまり良いことを思い出さないが、一つ分かったことがある。
手洗いが非常に有効だということである。
おかげでインフルエンザの発生はほとんどなかった。
悪いことは数えきれないが、そのうちの一つは出生率の低下である。
チュウどころか濃厚接触などという言葉が平気で語られ、避けられ、何よりも不安感がもたらされた結果だろう。
社会減、自然減もあり、柏崎市の人口も今年中に8万人を切りそうである。
笑いごとではない。
ここで、今年の中学校卒業式に送った祝辞の一部を。
シェイクスピアの作品「マクベス」の中の言葉です。
The night is long that never finds the day.
直訳とは別に、多くの人が「明けない夜はない」と訳します。
願いなのです。
皆さんは前に進まなければなりません。
願いは必ず叶います。
人類は過去、幾多の困難を乗り越えてきました。
この新型コロナウイルス感染症もワクチンの接種などにより収束するでしょう。
いや、私たち自身、一人一人が努力をして、収束させなければならないのです。
私たちの意志であり、責任です。
緊急事態宣言が解除されても継続して、手洗い、手洗い、マスク、適切なチュウ意をお願いします。
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更新日:2022年03月04日