柏崎市陸上競技場は令和5年8月で100周年を迎えます

大正12(1923)年に建設され、現存する日本最古の公認グラウンドといわれる柏崎市陸上競技場は、令和5(2023)年に創立100周年を迎えます。

この陸上競技場は「柏崎を日本一の体育の都に」「体育の理想郷建設」との願いを込め、柏崎の体育の父と呼ばれた坂田四郎吉さんを中心とする有志で組織された刈羽郡体育協会が中心となり、志を同じにする人々が集い完成させたものです。

競技力の向上、そして何より庶民の健康追及を大目標とした、柏崎体育の原点といえる施設です。

陸上競技場の発起人 坂田 四郎吉(さかたしろうきち)

写真:背広にネクタイ姿の坂田四郎吉さん

坂田 四郎吉 氏
(明治20(1887)年~昭和42(1967)年)

明治20(1887)年に与板に生まれました。生まれながらに身体が弱かったのですが、脆弱な身体を鍛え直し、教員になる夢を果たします。

柏崎尋常小学校(現:柏崎小学校)に転任した坂田さんは「大運動場設立」の夢の実現に向けて動き出しました。活動を始めた頃は非難の声ばかりでしたが、しだいに坂田さんの考えに賛同する市民も増え、大正12(1923)年に刈羽郡体育協会グラウンド(現:柏崎市陸上競技場)を多くの民間有志とともに完成させ、各種大会や市民運動会などを開催するなど、数多くの陸上選手が練習に励みました。

坂田さんは、神社境内で行われていた朝起き体操や現在も続く「元朝体操会」を創設し、市民の健康や体力づくりの振興に尽力しました。

柏崎市陸上競技場の今昔

写真:戦前の陸上競技場。全体が土のグラウンドで、手前に短距離のレーン、奥にトラックがあります。トラック中央には練習中の人々が写っています

戦前の刈羽郡体育協会グラウンドの様子(出典:小竹コレクション)

県下少年・少女オリンピック大会

大正12(1923)年10月7日、県下少年・少女オリンピック大会が開催されました。

この大会には地元の柏崎、比角、大洲、枇杷島の各小学校をはじめ、東頚城、中頸城、三島などの市外からも参加があり、32校が参加する大会となりました。

柏崎日報は『集まる群衆は数万、応援歌は天地を震撼させた』と伝えています。

写真:レーンのすぐわきにたくさんの観客が応援する中、短距離走をする少年少女

県下少年・少女オリンピック大会の様子

マスゲーム

大正時代から昭和初期にかけて、陸上競技大会の合間にマスゲームと称し、陸上競技場に地元の学校が集まり集合体操を行い、競技大会に花をそえました。

昭和5年には「マスゲーム大会」と称し、坂田四郎吉さんの指揮のもと、約7千人がラジオ体操をはじめとする13種目を熱演し、1万人を超す市民を魅了させました。

マスゲーム大会は柏崎が発祥の地と言われています。

写真:白いTシャツと白いスラックス姿の市民が、競技場のトラックに整然と並び、マスゲームを行っている様子です

戦前に開催されたマスゲーム大会の様子(出典:小竹コレクション)

今(令和5年)

写真:現在の柏崎市陸上競技場。トラックレーンはゴムで舗装され、フィールド内には芝生が植えられています。

坂田四郎吉胸像

平成22(2010)年に坂田体育研究所所長坂田郁男氏をはじめとする研究所関係者により創建されました。

競技場を一望できる場所で、現在も選手たちの活躍を見守っています。

写真:陸上競技場に建てられた坂田四郎吉像です
写真:陸上競技場に向かって建てられた坂田四郎吉像の後ろ姿の写真です

時計

写真:陸上競技場の観客席中心にある時計の写真です

平成18(2006)年村山忠利氏から寄贈されました。

観客席中心に設置され、競技場のどこから見ても時間が分かるようになりました。

柏崎市陸上競技場に記念パネルを掲出しています

陸上競技場入り口付近

写真:陸上競技場の入り口付近に祝柏崎市陸上競技場100周年の横断幕が掲出した様子です

柏崎小学校側フェンス付近

写真:陸上競技場の柏崎小学校側のフェンスに祝陸上競技場100周年のパネルを掲出した写真です
写真:陸上競技場のフェンスに記念パネルを掲出するための準備をしている様子です
写真:陸上競技場のフェンスに記念パネルを取り付けている様子です

ソフィアセンターで特設展示を開催【終了しました】

ソフィアセンター1階の開架スペースと児童コーナーで、陸上競技場100周年に関する展示を、9月1日(金曜日)まで開催中です。

陸上競技場で建設初期頃に開催されていた大会の写真や説明、クイズなどで陸上競技場を紹介しています。

ぜひ足をお運びください。

写真:図書館で開催されている図書間ミニ展示の様子で競技場建設初期頃に開催されていた大会の写真が飾られています

図書間ミニ展示

写真:図書館の児童コーナーで陸上競技場の紹介をしているコーナーの様子です

児童コーナー

柏崎市陸上競技場のあゆみ

陸上競技場年表
年月日 できごと
大正10(1921)年3月4~7日 「大運動場を柏崎に建設せよ…一町民」の論文が柏崎日報に掲載。これが現在の陸上競技場の発端となる。
大正11(1922)年5月22日 柏崎大運動場建設協議会開催。建設地を柏崎小学校裏の砂丘地と決定。
大正11(1922)年5月23日 柏崎大運動場建設期成同盟会が発足
大正11(1922)年11月20日 補助金を受けるにあたり刈羽郡体育協会が発足
大正11(1922)年12月1日 柏崎町議会が刈羽郡体育協会大運動場建設に補助金支出を決定
大正12(1923)年5月1日 刈羽郡体育協会グラウンド(現在の柏崎市陸上競技場)の着工
大正12(1923)年8月1日 工事にあたり中鯖石青年団100名が労力奉仕
大正12(1923)年8月26日

刈羽郡体育協会グラウンドの竣工(総工費1万3800円余)

大正12(1923)年10月17日

県下少年少女オリンピック大会を開催(柏崎小学校優勝)

大正13(1924)年11月4日 町民運動会を開催
昭和3(1928)年10月27日~28日 第1回県下陸上選手権大会を開催
昭和5(1930)年3月16日 柏崎陸上競技場公認申請を日本陸上連盟に提出
昭和5(1930)年10月19日

柏崎青年団が大国旗と掲揚塔を寄贈

マスゲーム大会を開催

昭和5(1930)年10月25日 大国旗と掲揚塔寄贈式
昭和5(1930)年度 全日本陸上競技連盟が乙種公認競技場と認定
昭和6(1931)年10月24日 壮大なマスゲーム大会開催
昭和7(1932)年6月18日 脱衣場の起工
昭和14(1939)年5月14日

大日本体操大会第1回新潟県体操大会中部大会を開催

(柏崎刈羽郡小中学校・工場)は七千名を動員して公認グラウンドで開催

昭和15(1940)年6月15日 大日本陸上競技連盟が第二種公認競技場に公認
昭和15(1940)年9月15日 第1回柏崎市民大運動会の開催
昭和20(1945)年10月7日 敗戦直後の混乱した世相の中での復活第1回の市民大運動会を開催
昭和36(1961)年3月 坂田体育研究所が設立
昭和48(1973)年8月 陸上競技場が50周年を迎える
昭和48(1973)年10月 陸上競技場の石碑除幕式
昭和55(1980)年 県内初の全天候型トラックとスタンドが完成
平成2(1990)年11月 トラックの全面改修工事
平成18(2006)年11月 村山忠利氏が時計を寄贈
平成22(2010)年10月3日 坂田四郎吉像の除幕式
令和2(2020)年3月 坂田体育研究所が閉所

 

関連リンク

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 スポーツ振興課

〒945-8511
新潟県柏崎市日石町2番1号 市役所 本館2階
電話:0257-20-7010/ファクス:0257-23-0881
お問い合わせフォームはこちら

更新日:2023年09月02日