令和5(2023)年度の市長随想
このページは、「広報かしわざき」に掲載した記事をもとに作成しています。
高温・高熱を考える(2023年9月号)
新型コロナウイルスに感染し、8月上旬、5日間公務を休ませていただきました。
ご迷惑、ご心配をおかけし、誠に申し訳ありませんでした。
感染2日目、熱帯夜。高熱にうなされ、立ち上がった瞬間立ちくらみがし、倒れ込みました。
鼻をしたたかに打ちました。
「大丈夫? 鼻折れてない? 救急車呼ぶ?」と別室の妻が驚く。
「たぶん大丈夫」
自業自得です。鼻っ柱が強い本領は発揮されたわけですが、傷は負いました。
40度を超えた体温は3日目には平温に戻り、のどの痛みも無くなりました。
3年半後の今かかるのではなく、もっと早くかかっておけば良かった、とも思えました。
夏の異常高温、体の高熱。
特にご高齢者にとってみればかなりの負担になるはず。
聞いているのと実際に体験するのとでは格段の違いでした。
罹患(りかん)者のためにもっとできることが無かったのか。
3年半、市民の皆さんには最善の注意を払い、罹患防止に努めていただきました。
ありがとうございました。
当の私は、一応の締めと考えていたぎおんの花火で緊張が解けてしまったのかもしれません。
忸怩(じくじ)たる思いです。
さて、この夏、初秋、気温36度、38度。
どうしたものだろうか。
あまりにも暑すぎる。
国連のグテーレス事務総長は
「The era of global warming has ended and the era of global boiling has arrived.」
(地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来した)
と語っている。

萩の花
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる(藤原敏行)
百人一首に歌われてきた秋の風であるが、現代では早い時期から来襲する強烈な台風となり、野分(のわき)という情緒ある言葉を誰も知らないものとなってしまうのではないか、と心配している。
いずれにせよ気温、体温がその高さを争うという事態は決して見逃してはいけない異常である。
夏の『フォレスト・ガンプ』(2023年8月号)

小島・イボ山のアジサイ
平成2(1990)年8月3日、私はネパール・カトマンズ、1泊500円のゲストハウスにいた。
16歳の青年シャキヤが朝刊「ライジング・ネパール」を片手にやってきた。
「イラクがクウェートに侵攻した!」
湾岸戦争が始まった。
柏崎に戻り、33年が経ち、久しぶりに1995年公開の映画『フォレスト・ガンプ』を観た。
「あまり賢くない」が、特別で、しかし純粋な人生を「走った」男の物語である。
演じたトム・ハンクスのモノローグが「美しく」、ベトナム戦争をはさんで、恋人、親友、上司である隊長、そしてママの言葉が縦糸、横糸綾なす。
「前に進むには過去を捨てなさい」
「人生は運命か、偶然か」
「僕は疲れた。家に帰る」
と映画は最愛の女性との短い結婚生活を描き出し、エンディングに向かう。
繰り返し観てきた黒澤明監督『白痴』で主人公が障がいを負うことになったきっかけは戦争であった。
邪悪なものが純真さを導き、多くの人を魅了し、同時に悲しみをもたらした。
『ディア・ハンター』も好きな映画だ。
ベトナム戦争の狂気、残したトラウマ。
劇中で流れる曲「君の瞳に恋してる」からは本来の明るさ、テンポは感じられず、哀感さえ漂っているようであった。
昨年来のウクライナ情勢も現実である。他人事ではない。
日本は約80年前、戦争当事者となり、尊い命が奪われ、奪った。
満州柏崎村という胸の痛む歴史もある。
私、私たちがよく考えなければならないと思う。
さて、『フォレスト・ガンプ』のママによれば「人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみないとわからない」そうだが、我が家では私が開けたときには既に空っぽである。
でも懲りずに開けている。
どっち派?(2023年7月号)

『学生版 牧野日本植物図鑑』牧野富太郎 著(北隆館)
子どもの頃、夏休みの宿題、自由研究は植物採集、植物派だった。
チョウやカブトムシ、クワガタを追い回す昆虫派ではなかった。
5年生の頃、胴乱を買ってもらった。
採集した植物を家まで持ち帰るためのものである。
そう、現在放送されているドラマでモデルとされる植物学者、牧野富太郎博士が持っているものである。
大人用だったので、その当時身長150センチメートルもなかった私は山野を引きずり、すぐに壊れた。
新種の発見以前の問題である。
食事の好みで言えば、魚。
サクライは弱肉強食の肉食獣だと思われているのかもしれないが(確かに時々無性に肉が食べたくなる)、自前の出刃、柳刃包丁を持ち、魚をおろす由緒正しき魚派である。
学生時代、イカの塩辛を作ったほどのものである。
よくある話だが、冷蔵庫に保存した残りは始末に困るほどの異臭を放ち閉口した。
30年来の内水面漁業協同組合員であり、川漁師なのだが、今月、友人に案内され、海に出る。
新潟漁業協同組合柏崎支部が鯛、ヒゲソリダイに続きブランド化を目指すアラ漁に同行する。
柏崎のおいしさを売り込む魚派である。
エネルギーの世界では、制限付き原発・再生可能エネルギーどっちも派である。
日本のエネルギー事情、気候変動による激甚災害頻発、世界で類を見ない地震大国であること、使用済み核燃料のバックエンド問題を考えたとき、脱炭素エネルギーである原子力は制限的な利用が現実的。
しかし、そこにとどまらず、太陽光、北海道・東北洋上風力からの海底直流送電、水素エネルギーも柏崎の可能性、産業構造に組み込みたい。
今年、西長鳥、鯨波で太陽光発電が始まり、安政町などで大規模蓄電池設置計画が動き出す。
ちなみに私はお酒も好き、スイーツも好き、辛党であり、甘党だ。
これもどっちも派である。
風に吹かれて(2023年6月号)

「あれっ? 市長じゃないの?」
「動かないよ。生きてるよね?」
鯨波・東の輪「御野立公園」でベンチを背もたれに海を眺めながら、村上春樹氏の新作を読んでいたのだった。
誰も来ないだろう、と思っていたのだが、3組の歴史ファン?が通り過ぎた。
その中の1組のヒソヒソ話である。
連休の一日、帰ってきた三男を含め、それぞれ用事があり、私1人取り残された。
置いてけぼりである。
涙を流しながら小さなリュックにコーヒーの入った水筒、缶ビール、柿の種、ウインドブレーカー、本も入れ、1人歩き始めたのだった。
途中柏崎港「夕海」に立ち寄り、番神の畑で草刈りをしながらなので往復9キロメートル、約5時間「大人の遠足」である。
ご承知の通り、御野立公園は戊辰戦争の一場面を形成した。
新政府軍と幕府軍がそれぞれの理想と現実に悩み、戦火を交えたのは約155年前である。
村上春樹氏のテーマは「私」と「影」であり、意識と無意識のパラレルワールドである。
そして、その交差ではないか。
図らずも御野立公園がその読書にふさわしいように思えたのだった。
別の日も同様で、涙と共に車で「道の駅風の丘米山」に向かった。
タニウツギの花に熊蜂がにぎやかである。
海と米山を左右に、風に吹かれ、コーヒー、チョコレートを口にしながらページをめくる。
今度は誰も来ない。
私の読書には誠に好都合なのだが、道の駅としては困ったものである。
米山大橋は昭和42(1967)年に完成した。
以来60年近く、市外からのお客さまを最も集めるエリアである。
米山の緑、海の青、橋脚の赤は自然と人工物の美しき交差である。
8号線を挟み、国、民間、市、歴史、伝統、コレクション、防災、大人、子ども、センス、新たな「パラレルワールド」を計画中である。
タカラヅカ(2023年5月号)

元タカラジェンヌ・月組組長 越乃リュウさんから、柏崎が誇る最高級コシヒカリ「米山プリンセス」の広報の一端を担っていただくこととなった。
偶然米山プリンセスを召し上がる機会があり、そのおいしさに感動されたことがきっかけであった。
大変名誉である。
宝塚の公演を見たこともなく、女性が憧れる世界、と認識し縁遠いものであったが、遠い昔、関わりが1回あった。
38年前、東京で教員をしていた時、ある生徒の母親を学校にお呼びしたことがあった。
「あーら、せんせー♪、せんせー♪ 私どもの娘がー♪ 何かー♪」とあでやかに登場された。
私は23歳、青年教師。
正にオーラというものはこういうものなのか、と圧倒され、私は「いえ…、いやあ…」周りの先輩教師たちからの「あなたダメねえ」という視線が恥ずかしかったのである。
お母さまは元タカラジェンヌ、お父さまは世界的なアーティストであった。
今回、妻に「タカラヅカって憧れるものなのか」と何気なく聞いてみた。
「うん、やっぱり格好いいじゃない、実は、…」
「えっ、えー♪、えー♪」と驚きすぎ、以後長い沈黙が続いた。
ところがその人気の高い宝塚音楽学校でさえ、少子化の影響か、受験倍率そのものは毎年下がってきていると聞いた。
柏崎市は今年10月から給食費を除く保育料を1歳児から無料とする。
子ども一人当たりに振り向ける市単独補助は医療費、教育費含め県内でも随一のものになる。
屋内遊び場の充実も検討を始めた。
学力も国、県平均の3ポイント上を目指す。子育て、教育環境を充実させ、タカラジェンヌのみならず子どもたちの可能性をより大きなものにして差し上げたい。
子どもたちが抱くさまざまな夢や憧れは親の想像を超える。
柏崎市は応援する。
キクザキイチゲ(2023年4月号)
陽光きらめく中、冬枯れからわずかに緑の萌芽を抱える雑木林を歩く。
残雪の沢筋には遅れたフキノトウが目立ち、木陰にはキクザキイチゲやショウジョウバカマの白、青、ピンクが点在する。
イカリソウやオウレンもエレガントである。
そして、である。
猟友会の手を逃れたイノシシが掘り返した穴がそこここに目立つ。
耕したかと思われるほどである。
本当に雑食性らしい。
20年ほど前まで柏崎にイノシシはいなかった。
イノシシにも言い分があって、俺たちだってここまで来たくて来たんじゃない。
こんなに足の短い俺たちは深い雪の中を歩くには不自由だ。
「オンダンカ」で雪が少なくなって、行動範囲が広くなったのさ。
おまけに「リョウシ」も「コウレイカ」で俺たちになかなか弾が当たらないのさ。
いつも「あっ、さあさ」なんて言ってるぜ。
ここまで言われて引き下がる猟友会ではない。
このところ数年、総がかりである。
おかげさまで個体数は確実に減ってきている。
さて、人間の仕業が人間に被害をもたらし、人間が始末をする。
いったい私たちは何をしているのだろう。
平和を祈り、戦争をする…と、イノシシの焼き肉を食べるのである。
極めておいしい。

セリ、浜辺のボウフウなど香草もおいしい季節である。
東京生まれ、東京育ちの妻が言う。
「やっぱり雪が降らなきゃ、みんなおいしくならないのよ」「だいたい5センチ、10センチの雪で大騒ぎの東京っておかしいわよ」
柏崎に来て30年、一丁前である。
昨年12月の豪雪からまだ3カ月ほどしか経っていない。
そして、この冬は例年に比べ小雪であった。
コロナの季節は3年が過ぎた。
私たちは忘れがちである。
キクザキイチゲは環境によって白花であったり、青花であったりする。
何が要因なのだろうか。
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更新日:2023年09月05日